
3.11。あの日、私たちにできたこと。これからできること。
2011年3月11日午後2時46分。誰もが経験したことのない激しい揺れが、私たちの日常を一変させました。
停電、通信障害、物流の寸断。ライフラインが次々と機能を失う中、企業には何ができたのか。セブン&アイグループもまた、店舗や物流網に甚大な影響を受けながら、生活者のために何ができるかを必死に模索しました。
あの時、それぞれの立場で下した決断、支援のための取り組み、そしてその経験から得た教訓。
震災から14年が経った今、企業の一員として、何よりも生活者として、私たち一人ひとりにできることは何か。対談を通して、そのヒントを見つけていきます。
今回交差点で出会った方々はこちら

物江さん
1979年にヨークベニマルに入社。2011年に湊鹿妻(みなとかづま)店の店長として震災を経験。2014年に仙北ゾーンのゾーンマネジャーに就任して復興に尽力。2016年からは監査室で活躍しています。

木村さん
2005年にヨークベニマルに入社。2011年石巻中里店、加工食品部マネジャーに赴任直後、震災に遭遇。その後、仙北ゾーン各店でグロサリーマネジャーとして復興に尽力。2017年から副店長として宮城県内で活躍し、2025年2月に店長へ昇格しています。

渋谷さん
1997年にセブン-イレブン・ジャパンに新卒で入社。2006年より商品本部にて業務。震災当時は、東北の地区マーチャンダイザーを担っていました。

上田さん
2014年に新卒で赤ちゃん本舗に入社。現在はサステナビリティ推進担当として環境問題や子育て課題の解決・啓発を担当。震災当時は、西日本エリアの大学に通う学生でした。
あの瞬間、何を見て、どう動いたのか
―災害は私たちの予想をはるかに超えて起きます。だからこそ、"その時"に私たちに何ができるのか。今日は東日本大震災を経験された皆さんと一緒に、私たちにこれからできることを考えていけたらと思います。

対談は東京・宮城の2拠点 からオンラインで実施しました。

物江さん
湊鹿妻店にいたのですが、強い揺れのため立っていられず、壁にしがみついて激しい揺れに耐えたのを覚えています。揺れが収まってから店内を確認すると、ものは散乱し、天井が崩落していました。

木村さん
私は東松島市の矢本店で研修中でした。大地震が発生したのは、昼食を終えたころです。揺れに何とか耐えたかと思えば、今度は津波の情報が入り、急いで避難を開始しました。当時はただ先の見えない不安を抱えるばかりでしたね。


渋谷さん
私は、仙台の卸町(おろしまち)で東北地区の商品開発に関する会議に参加していました。その後、3時間以上かけて仙台の事務所へ戻り、最初に行ったのが電源の確保。パソコンをつないで情報収集を行う中で、浸水した街の映像を目にした時の衝撃は忘れられません。

上田さん
私はまだ大学生で被災していませんが、関東の店舗では、店内にいたお客様のベビーカーを抱えながら、階段を使って避難誘導したと聞いています。漠然とした不安が強かったのを覚えています。

渋谷さん
不安はもちろん私もあったのですが、震災直後からセブン-イレブンの四ツ谷本部と連携できたのは心強かったですね。当時の上司がすぐさま本部と電話をつなぐように、指示を飛ばしてくれたんですよ。あれがなかったら、落ち着いて対処できていなかったと思います。


物江さん
私はとにかく無我夢中でした。揺れが収まった直後に大津波警報が発令され、すぐに従業員とお客様を屋上の駐車場へ誘導しました。津波が来たのは、それから約30分後。駐車場から家や車が濁流にのまれていく様子を目の当たりにしながらも、その場にいた全員で、人々の救助にも尽力しました。
困難の中でも、生活者に寄り添うということ
―大変な状況の中でも、物江さんは生活者の方々のために動かれていたんですね。セブン-イレブン、赤ちゃん本舗では、どのような支援を行ったのでしょうか?


渋谷さん
震災直後から本部と連携できていたこともあって、商品供給に向けた動き出しは早かったと思います。とはいえ、被災地の皆様のニーズに100%お応えすることは難しかったですね…。お湯を使えないにも関わらず、カップヌードルをお届けしてしまったこともあります。
ただ、加盟店様に対し「商品の供給を止めてはいけない」という想いで、いかに商品を届けられるかということを各部と連携しました。

上田さん
震災後より、「赤ちゃんに対する物資が足りない」というお客様の声が多く寄せられたそうです。そこで、新店準備のために埼玉の物流センターに用意していた商品を、急遽救援物資として各所へお届けしたと当時の担当者から聞きました。

渋谷さん
そうでしたか。当時、現場で必要とされていたのは電池や生理用品でした。でも、私たちセブン-イレブンに情報が入ってこなかっただけで、小さなお子様のための物資も必要とされていたんですよね。


上田さん
支援物資は、国際協力NGOのジョイセフ※を通じて提供することができました。ただ、被災地域の方が必要とされるものがどんどん変化していって…。最初は生活必需品中心だったものが、メンタルケアを求められるようになったそうです。
※女性のSRHR(性と生殖に関する健康と権利)を前進させる活動に取り組む、日本生まれの国際協力NGO。

渋谷さん
そう、震災直後としばらく経った後では、求められるものが変わるんですよ。我々にもジュース類やデザートのリクエストが届いていました。
―被災地の店舗は、どのような状況だったのでしょうか?


物江さん
ヨークベニマル湊鹿妻店では、被災後すぐに地域の皆さんとの共同生活が始まったんです。その中心になってくれたのが店舗の従業員の方たち。自分の家族の安否もわからない中、避難してきた方々のケアに全力を注いでくれました。本当に感謝しかありません。

木村さん
私は矢本店に戻ることができず、石巻市の蛇田(へびた)店の応援に参加していました。震災から2〜3日後、湊鹿妻の方から歩いてきた元同僚二人に「食べ物がないから、水や食料を届けてほしい」と頼まれて、すぐに荷造りして物資を届けに向かいました。とにかく“今できることをする”という意識でいましたね。
これからの災害対応に向けて
―木村さんがおっしゃった「今できることをする」という言葉が印象的です。あの時、皆さんがそれぞれの立場で懸命に動かれたからこそ、少しずつ前に進むことができたのだと思います。今後も大きな災害は起こりうる中で、会社として、個人として、どのような備えが必要だとお考えでしょうか?


渋谷さん
やはり一番大切なのは、被災地域のニーズを的確に把握し、そのニーズに対応するためにも自分たちの持っているインフラの仕組みを皆が理解し、柔軟に対応できる体制を整えておくことですね。
3.11の時の反省から、今は有事の際にすぐに緊急会議が開かれる体制になっていて、指揮系統の確立は進んでいます。これからはグループ間の連携をもっと強めていきたいですね。
たとえば物流拠点の共有ができれば、より多くの支援物資を現地に届けられるようになると考えています。


上田さん
備えがとても大事ですね。自治体などの災害備蓄では、粉ミルクは用意されていても、赤ちゃん用のおしり拭きや衣類がなかったりします。また、普段は完全母乳でも災害時には出づらくなることもあります。日頃より、液体ミルクや粉ミルクに慣れておくことも、備えの一つになります。
意外だと思われるかもしれませんが、おもちゃも準備しておくといいかもしれません。赤ちゃんの心のケアも大切ですから。


木村さん
避難訓練の意義を、皆さんにお伝えしたいです。『もし今災害が発生したら何をすべきか』を、具体的に理解できるような訓練が重要だと感じています。避難場所も、実際に歩いて確認しながら繰り返し伝えることが大切ですね。
また『まずは従業員が自分自身の安全を確保する』ことを強調しています。自分の身を守ってこそ、お客様の安全確保にもつながると考えているからです。

物江さん
訓練や日頃の備えと同じように大切だと実感したのは、店舗と地域の皆さんとの関係性の大切さです。忘れられないのは、東日本大震災から2年後に湊鹿妻店を再建した時、お客様からいただいた「これで私たちが生活できる。再建してくれてありがとう」という言葉です。お客様の支えとなることが、私たちの支えにもなります。

渋谷さん
物江さんがおっしゃる通り、店舗は、人の心のよりどころになると思うんです。実際、セブン-イレブンでも、営業再開後にお客様から「話し相手がいるだけでうれしい。お店を開けてくれてありがとう」「お店に灯りがともって、開いていることが希望だ」と言われたそうなんです。

物江さん
お店が地域の方々の心の支えになれたことを実感しますよね。震災のことは忘れたい気持ちもありますが、私たちが経験してきたことを後世に伝えていきたい。それが未来への備えになると思います。

ともに生きる人々への感謝を忘れず、自分たちにできることを積み上げていく――。災害に備えて、いざという時にできることは何か。その問いへの答えは、一人ひとりの経験の中にありました。