街に灯りをともす人たち。東日本大震災から15年、地域とともに歩むセブン‐イレブン
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、街に大きな影響をもたらしました。それ以降、被災地の方々は一日一日を懸命に歩んできました。
あれから15年。復興はいまだ道半ばですが、街に関わる方たちの惜しみない努力で灯りと温もりが戻ってきています。
今回の交差点に集まったのは、震災から3年後、被災地の一つである岩手県陸前高田市の復興のため、新たにセブン‐イレブンという灯りをともし、地域とともに歩んできた方々。
震災当時、何を感じたのか、そしてどのような思いでお店を開店したのか。これからこの灯りをどのように広げていこうとしているのか。オーナー様、OFC※1の視点からお話いただきました。
※1 加盟店オーナー様に向けた経営カウンセリングを行う社員のこと。
※震災当時の被害状況を記録した画像が含まれます。閲覧には十分ご注意ください。
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今回交差点で出会った方々はこちら

菅野オーナー
震災当時はセブン‐イレブンに加盟しておらず、会社員として陸前高田に住んでいた。2014年にセブン‐イレブンに加盟、岩手県沿岸部で初となる「セブン‐イレブン陸前高田市役所前店」を出店。
その後、市役所の移転に伴い同店を閉店、現在は陸前高田で2店舗(陸前高田馬場前店・陸前高田高田高校前店)を経営している。

菅野マネジャー
菅野オーナーの奥様。出身地である気仙沼で津波を経験。現在は2店舗の運営をサポート。

野中さん
震災3年後の2014年、「陸前高田市役所前店」開店当時の担当OFC。現在はリクルート本部で、東北エリアの店舗の契約管理や既存店の活性化を担当している。

羽場さん
2024年から岩手県沿岸エリアを担当。菅野オーナーが経営する2店舗を担当するOFC。
街から灯りが消えた日
―先ほど陸前高田高田高校前店にお伺いさせていただきましたが、学生の皆さんから年配の方にまで愛されている素敵なお店だなと感じました。震災当時はこんな未来がやってくるとは、誰も想像できなかったのではないでしょうか。
菅野オーナー
当時は、何が何だかわからなかったというのが、正直なところです。私の自宅は陸前高田の沿岸部から離れた場所にあり、津波の被害は免れました。ただ、電気も水道も止まってしまっていて、周囲で何が起きているのかわからない。街は大変なことになっているのだろうなという想像しかできませんでした。
菅野マネジャー
あの日私は、隣町の気仙沼で、津波をまともに経験しました。その日は仕事が休みで、母親と病院からの帰宅途中に車の中で地震に遭ったんです。でも正直、運転している時は地震だと気づかなくて。同乗していた母が「やたら車が揺れる」と言って、初めて気づいたんです。でも、その時点ではまさか津波が来るとは思っていませんでした。
東日本大震災直後の、被災した沿岸エリアの状況。
出典: iro-iro / PIXTA(ピクスタ)
野中さん
とにかく、状況を把握しづらい一日でした。その時私は福島第一原子力発電所周辺のエリアを担当していたのですが、地震が起きた時は、津波の情報もなければ発電所の状況についての情報もありませんでした。
車の中で待機して、明日からお店をどうやって立て直そうかと考えていたらサイレンが鳴り響いて、そこで初めて発電所の事故のことを知りました。津波のことを知ったのは、車で避難している最中のことです。流されてきた船が、道路をふさいでいたんですよ。
菅野マネジャー
いつの間にか、街が海になっている。そんな状況でした。なんとか山を徒歩で乗り越えて、避難所にたどり着いたのですが、明日のことがまったく想像できませんでした。避難先で一つのおにぎりをいただいたのですが、いつ食料が尽きるかわからない。だから、食べる機会を見失って、ずっとポケットにしまっていました。
羽場さん
皆さんのお話と比較しようがありませんが、当時の私も情報の大切さを痛感していました。というのも、関西に住んでいて、震災発生当時は自動車で移動していたので、まったく気づけなかったんです。そんな自分が将来、このエリアを担当することになるとは、夢にも思いませんでした。
現在の陸前高田。少しずつにぎわいが戻ってきてはいるものの、復興の歩みは続く。
陸前高田の人々を支えたいという思いで生まれた、セブン‐イレブン陸前高田市役所前店
―東日本大震災発生から3年後、復興作業中の陸前高田にセブン‐イレブンが出店しました。岩手県沿岸部への初出店でノウハウもない、さらに震災の爪痕が残る中での出店には、不安もあったのではないでしょうか。
野中さん
出店にあたって陸前高田を訪れてみて驚きました。昨日津波が来たのではないかと思ってしまうほど、復興が進んでいなかったんです。正直なところ、ここでやっていけるのだろうかという不安はありましたね。
ですが同時に、陸前高田の皆さんから、「なんでも買える便利なお店がほしい」という声が聞こえてくるような印象もありました。
菅野マネジャー
このお店が陸前高田に根付いていけるのだろうかと、私も最初は不安がありました。でも、夫の「何もないところから、陸前高田の皆さんを支える立場としてやっていきたいんだ」という言葉が背中を押してくれたんです。同じ被災者として、できる範囲でこの街を支えていこうって。
菅野オーナー
元々、セブン‐イレブンが好きだったんですよね。社会人として駆け出しの頃に、宮城県気仙沼市のセブン‐イレブンをよく利用していたのですが、とにかく接客がすばらしかったんですよ。
陸前高田にセブン‐イレブンがあれば、同じように明るい気持ちになってもらえるんじゃないかと思いました。それから、復興作業に携わってくださっていた方たちに、食べ物を提供する場所を持ちたいという考えもありましたね。
セブン‐イレブン陸前高田市役所前店オープン時のお写真。菅野オーナーご夫妻。
羽場さん
菅野さんご夫妻の想いは、お店に浸透していますよね。これまでさまざまなエリアの店舗をOFCとして担当してきましたが、菅野さんの2店舗は、ともにお客様との会話が多い明るいお店です。笑顔で楽しくお買物できるから、また次も「このお店で買物しよう」とお客様は思ってくださっているんじゃないでしょうか。
10年経っても、変わらない想い
―菅野さんがオーナーになられてから10年以上経ち、今では陸前高田の街で2店舗を経営されていますよね。陸前高田を支えたいという想いは、今でも変わらないですか?
菅野オーナー
少しゆらいだこともありました。復興が進むにつれて建築会社の方々が現場を離れていきましたし、近くにあった市役所が移転してしまったんです。私たちにも生活があるので、このまま進むべきか退くべきか悩んでいる時に、新たな出店地を見つけました。ちょうど街の中心部で、そこから陸前高田を支えていければと考えたんです。
野中さん
私は人事異動の関係でこの土地を離れることになってしまい、その後の経緯を改めて知ったのですが、新たなお店を展開していくことに関して菅野マネジャーはどう思われましたか?
菅野マネジャー
震災から長い月日が流れましたが、陸前高田はまだ足踏み状態です。本当の復興までには、まだまだ時間が必要だと思います。でも、だからこそ「セブン‐イレブンを中心に陸前高田を少しでも支えていければ」という気持ちが強くありました。
高田高校前店の前で。
羽場さん
菅野オーナーは高田まちなか会という、陸前高田を盛り上げるコミュニティの理事も務めていらっしゃるんですよ。セブン‐イレブンの店舗運営を通して、この土地の方々と深く結びついている証だと私は思っています。
野中さん
まさに街の中心じゃないですか。菅野オーナーには初めてお会いした時から、「この人だったら、絶対にオーナーとして成功して、街の方々を幸せにできる」と感じていたんですよね。奥様も含めて、セブン‐イレブンをこの土地でどのようにしていきたいのかが、最初から明確でしたから。その想いが、陸前高田の人々にも届いたのでしょうね。
街の灯りであり続けるために
―菅野さんご夫妻の熱意や、野中さん・羽場さんを始めとした歴代のOFCのサポートで、陸前高田にセブン‐イレブンという灯りがともされました。復興が続く陸前高田で、この灯りは今後どのような役割を果たしていくのでしょうか。
野中さん・羽場さん
菅野さんのお店で買物をして、従業員の方々の気持ちの良い接客を受けて、それで少しでも幸せを感じていただく。そんな、誰かの幸せに触れられるようなお店になってほしいですね。これからも私たちがサポートさせていただきます。
菅野マネジャー
高田高校前店を立ち上げた時は、周りには何もなかったんです。でも今では目の前にお花屋さんができて、お店の後ろには住宅が何軒か建っています。このお店の影響かはわかりません。でも、この土地でがんばり続けることで、陸前高田が元通りに近づいていくお手伝いができたらいいなと思っています。
菅野オーナー
お客様一人ひとりをおもてなしすることが、未来につながっていくと私は考えています。お客様に喜んでいただける商品を用意し、常に感謝の気持ちを持って接する。シンプルですが、その積み重ねが何よりも重要なんです。
震災から15年。陸前高田にともった灯りは、これからも地域の人々を照らし続けていきます。
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