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見上げた空に、夢を描く。セブン‐イレブン・ジャパン チョウさんの働き方

どんな仕事にも必ず「原点」があります。学生時代に友人と過ごした時間や、アルバイト、あるいは、誰かからもらった一言が「原点」かもしれません。

「働き方は、なないろに」では、従業員一人ひとりの原点から今にいたるまで、それぞれの七色の働き方を紐解いていきます。

今回登場するのは、セブン‐イレブン・ジャパンのチョウ ムさん。上海出身のチョウさんは2012年に来日。日本の大学院を卒業し、2015年に入社しました。

現在はセブン‐イレブン加盟店オーナー様にさまざまな経営カウンセリングを行うOFC(オペレーション・フィールド・カウンセラー)として、西東京エリアを担当。プライベートでは母親の顔も持っています。

上海出身のチョウさんは、なぜ日本のセブン‐イレブンで働くのか。
その始まりは、本に囲まれて過ごした少女時代にありました。

本と自然に恵まれて。上海での思い出

中国には、中央の庭を囲むように住居が建てられた“四合院(しごういん)”と呼ばれる伝統的な集合住宅があります。住民同士の距離が近く、助け合いながら暮らすその空間は、一つの大きな家族のような温かなコミュニティになることもあるのだとか。チョウさんがいた四合院も家族間の仲が良く、一人で隣家に遊びに行くこともあったそうです。

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出典: 画像素材:PIXTA

「一人っ子で家に一人でいることもあって、とにかく本を読んでいましたね。自分の家にある本を読み尽くしたら、同じ四合院の人たちから本を貸してもらうこともありました。当時の上海は今ほど都市化が進んでいなくて、高層ビルやタワーマンションは少なかったですね」

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自然を感じながら過ごした子ども時代

建物は低く、夜を照らす都市の光も少ない時代。四合院の庭からは、星空が見えていたそうです。夏、日が暮れると庭に集まって、みんなで旬の塩ゆでピーナッツを食べながら夕涼みをする。そんな穏やかな風景が、チョウさんの思い出の一つです。

たくさんの本と、四合院の優しい隣人たち。とても恵まれた環境に思えますが、チョウさんは大学進学を機に上海を離れることになります。

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「私の父は、少し昔気質というか、自分でなんでもやる人なんです。母はそんな父を支える家庭的な人で、バランスが取れた夫婦だと思います(笑)。私はどちらかというと父の方に似ていて、支えられるよりも、自分で道を描きたいタイプなんですね。だから、あえて自分の家から一番遠い大学を選びました」

チョウさんが進学先に選んだのは、上海から飛行機で3時間以上かかる雲南大学。雲南大学があるのは、中国西南部の都市・昆明(こんめい)で、そこは“春の都”とも呼ばれるほど1年中穏やかな気候に恵まれていました。そんな地でチョウさんが専攻したのは日本語。

「それまで日本語に触れたことはなく、なんとなく新しい学問の一つとしていいかなと思ったんですよね。ただ、最初は本当に喋れるようになるのかな?と、自分でも不安でした。今でも苦労しているのが、伝え方です。ストレートにものを言いすぎてしまうと、かえって伝わらないことがあるので、遠回しに伝えられるように今も勉強中です」

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そう流ちょうに話すチョウさんが雲南大学卒業後に選んだのは、日本の大学院への留学でした。上海から、さらに遠く離れた地へ。“自立したい”という想いのままに、海を越えたのです。

真面目な国で出会った、季節感

すごく真面目な国。
それが日本に来たチョウさんの第一印象でした。

「大学までの歩道はすごく広いのに、左側に一列、右側に一列と、きれいに並んで歩いていたんです。とにかくびっくりしました。中国ではみんな自由で、道が広ければ好きに歩きますから」

文化の違いは、学費を工面するためのアルバイトでも体感することに。その一つが、日本独特の季節感です。

「毎朝おにぎりを手づくりする店でアルバイトをしていたんですね。私自身もおにぎりを握っていたんですが、驚いたのは毎月レシピが変わること。春先だとタケノコが入ったり、秋になるとキノコが入ったり。季節の変化がこんなふうに食べ物と結びつくのは新鮮で、どこかおしゃれにも思えました」

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さらに、その季節感は“商い”にも結びついていました。この体験が、小売業界への強い興味につながっていきます。

もう一つ印象に残っているのが、“人の温かさ”。チョウさんは大学教授のアシスタントのアルバイトもしていたのですが、あまりの疲れから約束の時間を寝過ごしてしまいます。

「大学のアルバイトに行く前に、5分だけ寝るつもりだったんです。教授からの電話で飛び起きたら、もうとても間に合わない時間で…。結局、教授が私の仕事もやってくださったんです。本当に申し訳なかったですね。でも、笑って許してくださる方で、今でも時々お会いしています」

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大学院時代、旅先のバンコク(タイ)にて。

学業とアルバイトに励みながら、2年間の大学院生活を終えたチョウさん。中国に戻るという選択肢は考えず、そのまま日本での就職活動を始めることになります。さまざまな企業を見る中で大きな決め手となったのが、1曲の歌でした。

デイ・ドリーム・ビリーバー

それが、セブン‐イレブンのCMソングとしても使われたことのあるTHE TIMERS(忌野清志郎さん)の『デイ・ドリーム・ビリーバー※』でした。
数百名が参加する大規模な会社説明会でこの曲が流れた時、チョウさんは運命的なものを感じたと言います。
※原曲はThe Monkeesの『Daydream Believer』。

「私の名前には『夢(ム)』という字が入っているので、すごくご縁を感じました。最初は会社のスケールの大きさやオーラに圧倒されていたのですが、心がふっと軽くなって。なんだかうれしくなったことを、今でも覚えています」

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一説によると、デイ・ドリーム・ビリーバーにはアーティスト本人の“産みの親”と“育ての親”への感謝も込められているのではないかと言われています。

親から受けた愛情への感謝。それを忘れずに、今も夢見て生きている。

親元を離れ、日本で人生を描こうとしていたチョウさんにこの曲が響いたのは、偶然ではなく必然だったのかもしれません。

二つの宝物

大学院時代の経験、デイ・ドリーム・ビリーバーとの出会い。そんなさまざまな縁に恵まれ、チョウさんはセブン‐イレブン・ジャパンに入社します。
時に日本語でのコミュニケーションに苦労しながらも、“お店をもっとよくしたい”というチョウさんの想いで、加盟店様との関係性を築いてきました。

「私には二つの宝物があって、一つがオーナー様の言葉です。その店は5年間ご一緒させていただいていたのですが、いろいろなご苦労があったんですね。でもそれを一緒に乗り越えられた時に、ほめていただけたんです」

もう一つが、産休中に加盟店様から送られた寄せ書きです。

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「オーナー様だけではなく、従業員のみなさんで寄せ書きをしてくださったんですよ。産休中で家にいたので、とても驚いたし、とてもうれしかったです。今でもこの寄せ書きを見ると元気が出てくるんですよ。この仕事をしていて、本当に良かったなと思います」

そうした関わりを通じて培ってきた絆は、出産後にはさらに広がり、オーナーご家族の気持ちを以前より深く理解できるようになったといいます。

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「奥様が臨月まで店舗で勤務していた話を聞いていても、それがどれくらいすごいことかわからなかったんです。でも妊娠してみて、お腹が大きい状態でお弁当の入っているケースを運んだりするのがどんなに大変かわかりました。
その時は、お店の皆さんにフォローしていただいて助けられましたね。でも奥様は、お店のことだけではなく、ご家庭のことも見られているんですよね。尊敬しかないです」

現在、チョウさんは2歳の娘さんを育てながら、仕事と家庭の両立に取り組んでいます。中でも熱心なのが、語学教育から赤ちゃん雑誌のモデルまで、娘さんにいろいろな経験をしてもらうこと。

「私自身が語学教育を通して、可能性が広がったと思うんですよ。だから娘にも、選択の幅を広げてあげたいんです」

上海の四合院から、日本のセブン‐イレブンへ。
海を渡ったチョウさんの人生は、仕事でも私生活でも実を結んでいます。

最後に、チョウさんの働き方を色で表現していただきました。

働き方は、ひまわり色

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「ひまわり色ですね。これまで、辛いこともありました。でも、長い目で振り返ると“ここまでたどり着けた”って思えるんです。何より私はポジティブなので、大変なことがあってもすぐに立ち直れるんです。だから、ひまわりなんですよね。たとえ今日折れても、明日はまた絶対立ち上がって空を見上げるぞ!って」

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これまでもこれからも、明るい夢を見て。
チョウさんの“ひまわり色”の物語は、これからも太陽に向かって続いていきます。

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