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穏やかな情熱で歩み続ける。セブン‐イレブン・ジャパン 常さんの働き方

どんな仕事にも必ず「原点」があります。学生時代に友人と過ごした時間や、アルバイト、あるいは、誰かからもらった一言が「原点」かもしれません。

「働き方は、なないろに」では、従業員一人ひとりの原点から今にいたるまで、それぞれの七色の働き方を紐解いていきます。

今回登場するのは、セブン‐イレブン・ジャパン 海外事業本部 グローバル戦略企画部で働く常(じょう)さん。中国で14エリアに広がる事業展開を支えるため、日々サポートを行っています。

その始まりは、山と川に囲まれた美しいふるさとと、大学院時代に出会った一つのおにぎりでした。

心を育んだ、ふるさとの日々

常さんが生まれ育ったのは、中国東北部の遼寧省(りょうねいしょう)。冬になるとマイナス20度を下回る極寒の地域ですが、春や夏には豊かな緑が広がる美しい土地です。お米の産地としても知られています。

「子どもの頃は、自転車で山を駆けまわっていました。少し走ると小さな川もあって、本当にすぐ近くに自然があったんだなと、今では思います。いろんな思い出がありますが、一番印象的だったのは、雨上がりの山で見た梨の花ですね。とてもきれいで、今でもその光景をよく思い出します」

出典: 画像素材:PIXTA

感受性豊かな少年だった常さんは、自然だけではなく、人や文化など、さまざまなものにも触れながら自分の道を見出していくことになります。

そのきっかけの一つが、隣人との交流でした。

「少数民族の方がお隣に住んでいて、とても良くしていただきました。おいしい民族料理をごちそうになったり、お正月には手づくりのお餅をいただいたりしました。この出会いを通して、異なる文化を知りたいという気持ちが強くなっていった気がします」

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「中学までの義務教育を終えたら、働きに出るのが当たり前の時代でした。金銭的な面で、学費を負担できない家庭が多かったんです。でも、両親は必ず『高校、大学に進学させる』と言ってくれました」

その期待に応えるために、時に山で息抜きをしながらも勉強に打ち込みました。常さんが通っていた中学校の進学率は、わずか数パーセント。学費の問題がなくとも、狭き門だったのです。

「それでも諦めなかったのは、負けず嫌いで何事にも挑戦する母の影響だと思います。ただ、性格は父に似ていると思っていて、『人として誠実で、穏やかであれ』という言葉を小さな頃によく聞かせてもらいました」

心のありようと、生き方。二人から受け継いだものを胸に、常さんは高校に入学。卒業後は大学に進学し、日本語を研究することになるのでした。

思い出のツナマヨネーズ

「日本語に初めて触れたのは、幼い頃に見たテレビ番組でした。当時は日本のドラマも放映されていて、よく観ていたのは、一人の女性が揺れ動く時代の中で懸命に生き抜く姿を描いた作品です。“日本の人は真面目なんだな”と、子どもながらに感じていました」

日本語そのものだけでなく、その背景にある社会にも関心を抱いた常さんは、大学で談話分析を専攻します。談話分析とは、言葉の持つ意味や法則性が、社会のあり方をどのように形づくっているのかを探る研究分野です。

「たとえば、日本語の『していただく』『してあげる』『してもらう』という言葉はとても興味深いです。与える側、与えられる側の関係性がそこに込められていて、“恩恵の授受”という文化を感じ取ることができます」

常さんの探求心は大学生活だけでは留まらず、日本の大学院への交換留学へとつながっていきます。1年という短い期間でしたが、日本での生活の中で、常さんの心をつかんだものがありました。

セブン‐イレブンのツナマヨネーズおにぎりです。

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「遼寧省はお米がおいしいんです。日本に来てセブン‐イレブンのおにぎりを食べた時、慣れ親しんだお米のおいしさを感じました」

ふっくらと炊かれたご飯に、パリッとした海苔。そして、マヨネーズが絡んだツナ。
中国でおにぎりを食べたことのなかった常さんは、懐かしさと新しさが同居するおいしさに心を動かされます。

「それまでに食べたことのなかった味だったんですけど、すぐ好きになりましたね。味の組み合わせが好きなんでしょうね。ちなみに、今では中国のセブン‐イレブンでもツナマヨが販売されていて、一番の売れ筋商品なんですよ」

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それから常さんは、足しげくセブン‐イレブンに通いました。おにぎりはもちろん、当時の赤いユニフォームも好きだったそうです。

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第3世代のユニフォーム(2025年現在のユニフォームは第5世代)

「自分でも着てみたいなと思って、アルバイトに応募したこともあります。ただ、採用されることはありませんでした。今ほど、日本語が上手ではなかったからだと思うのですが、残念でしたね」

それでも、セブン‐イレブンは少し特別な存在として常さんの記憶に刻まれるのでした。

大学院卒業後は日本のIT企業へ就職、その後は家庭の事情で中国に帰国することになった常さん。セブン‐イレブンとの縁は途切れたかのように見えましたが、思わぬ再会が待っていました。

今度こそ、セブン‐イレブンと

常さんの状況が落ち着いた2012年に、セブン‐イレブン成都の求人情報を目にしたのです。

セブン&アイグループは2004年の北京第1号店を皮切りに、2011年には四川省成都にセブン‐イレブン成都を設立。中国国内での出店を加速させていく。まさにそんなタイミングでの再会でした。

「これは縁だと思い、すぐに通訳として応募しました。面接に行ってみて驚いたのは、社員の皆さんが必ず声をかけてくれることです。会社を訪問した時には『いらっしゃいませ』、面接を終えて帰る時には『ありがとうございました』と声が響く。その光景がとても印象的でした」

設立されたばかりのセブン‐イレブン成都には、これから事業を形づくっていくためのエネルギーがあふれていたのかもしれません。常さんはそんな活気に満ちたセブン‐イレブン成都に見事採用。学生時代に憧れたセブン‐イレブン。その扉が、ついに開いたのです。

しかし、採用されたのは通訳としてではありませんでした。

「私が入社する前は予算を管理する企画部門がなく、その部門立ち上げのためのマネジャーとして採用されたんです。ただ、まったく経験がない分野だったので最初は途方にくれました(笑)」

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常さんは会社(セブン‐イレブン成都)のサポートを受けながら、セブン‐イレブン北京の企画責任者のもとで学び、日本でも研修を受けました。

「当時も今も、セブン‐イレブン成都は中国の人材を育成したいという思いが強くありました。将来の事業のために、中国で活躍できる人間を育てたいということです。おかげで、苦労はしましたが、本当にいろいろな経験をさせてもらえたと思っています」

そう当時を振り返る常さんは、笑顔を絶やしません。
この穏やかな姿勢が、未経験ながら常さんが企画職として迎え入れられた理由の一つだったのかもしれません。

2012年からの6年間。さまざまな経験を経て、常さんはさらなる成長のため、2018年にセブン‐イレブン・ジャパンで2年間の研修プログラムに参加することに。

「本社の業務だけでなく、店舗開発部門、経理部、トレーニングやマネジメントなどの研修、そして実際に店舗に入ってオペレーションを体験させていただきました。セブン‐イレブン・ジャパンで学ばせていただいたのは、とても大きな出来事だったと感じています」

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2020年、日本での研修を終えた常さんは、セブン‐イレブン中国の企画部門責任者として働き始めました。成都を飛び越え、中国14エリアに広がるセブン‐イレブンの事業をサポートする立場になったのです。

「中国では地域ごとにライセンスを付与しているので、それぞれやり方も取り組みも違います。ですから、経営面の分析や、予算管理だけでは話が通じにくいこともあるんです。その壁を超えられたのは、日本で学んだ店舗開発やオペレーションなどの実務経験があったからです。いろいろな視点で話すことで、各地域のいいところを引き出せるので、やりがいのある仕事でした」

こうして常さんが着実にキャリアを積み上げてこられたのは、父親から受け継いだ誠実さと、母親ゆずりの困難に立ち向かう心があってこそなのかもしれません。

最後に、常さんの働き方を色で表現していただきました。

働き方は、赤色

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「赤色です。あまり表には出さないのですが、心の中で情熱を持っているからです。真心で、真剣に挑戦したいという気持ち。それが、私にとっては赤い色なんです」

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ご両親の血を引き継ぎ、常さんの"赤色"の物語は、これからも紡がれていきます。

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