
現状に満足せず、ポジティブな変化を生み出したい。セブン&アイ・ホールディングス 代表取締役社長 スティーブ・デイカスさんの働き方
どんな仕事にも必ず「原点」があります。学生時代に友人と過ごした時間や、アルバイト、あるいは、誰かからもらった一言が「原点」かもしれません。
「働き方は、なないろに」では、セブン&アイグループの一人ひとりの原点から今にいたるまで、それぞれの七色の働き方を紐解いていきます。
今回登場するのは、セブン&アイ・ホールディングスの代表取締役社長スティーブ・デイカスさん。
「素敵に映るように写真を撮ってくださいね」と笑いながら、ユーモアたっぷりに流暢な日本語を話す デイカスさんは、母が日本人、父がアメリカ人という家庭に生まれ、小学校6年生まで日本とアメリカを行き来しながら育ちました。
その始まりは、父と通った合気道、そして家族が経営する米セブン‐イレブンで働いた経験でした。
少年時代、合気道で学んだ教訓
「幼い頃、日本や日本文化が大好きだった父の影響で、柔道や合気道、テコンドーなどいろいろな武道を習っていました。中でも一番好きだったのは合気道。父と一緒に新宿の本部道場に通って、稽古が終わると、銭湯へ行くのがいつもの流れ。そんな毎週土曜日の習慣が、思い出として残っています。この頃の影響もあって、温泉が大好きなんです」

幼少期のデイカスさん。デイカスさんを抱いているのがお母さん、右がお父さん。
まわりの子どもたちより体格に恵まれていたデイカスさんは、「技が未熟でも勝てるから」と稽古に真剣に取り組まない時期があったそうです。合気道の師匠から「デイカス! 技をきちんと習得して、練習するように!」とよく叱られていたのだとか。
そんなデイカスさんを変えたのは、ある日の稽古中の出来事でした。
「私より体の大きな男の子が入門してきて、あっさりと負けてしまいました。その時、目先の勝利に満足して技を身につける努力を怠ると、自分より強い相手が現れた時に勝てないということに気づきました。どんなに自分がうまくなったと思っていても、必ず自分より強い人がいるものです。だからこそ、日々努力を重ねて備えておくことが大切だと感じました」
この教訓は、今でも大事にしているそうです。

1962年、神奈川県の逗子の浜辺で遊ぶ。左からデイカスさん、お祖母さん、いとこ、叔父さん。
合気道と並んで、日本での記憶で強く残っているのが、家族でよく通ったイトーヨーカドーです。
「とても大きくて、なんでも揃っていて、行くたびにワクワクしました。一度エスカレーターのところで遊んでいたらお店の方に『危ないですよ!』と注意されたこともあります(笑)。お店の人たちがとても親切であたたかくて、当時のことは今でも良い思い出です」
そんなデイカスさんがセブン‐イレブンのユニフォームに初めて袖を通したのは、高校時代。米セブン‐イレブン(7-Eleven, Inc.)のフランチャイズ経営を始めた父の店舗で、週末の夜勤シフトを手伝うようになったのです。
「朝8時には姉とシフトを交代することになっていましたが、姉はよく遅刻してきました。『スティーブなら絶対に店を放り出したりしない』と思っていたのでしょうね(笑)」

1970年代後半、父が経営するセブン‐イレブン店にて。ユニフォーム姿の男性は義理のお兄さんで女性はデイカスさんのお姉さん。デイカスさんは深夜勤務だったこともあり、写真を撮る人がいませんでした。
父の店で働くかたわら、デイカスさんは自分でも“商売”に挑戦。地元の栽培農家から良質な観葉植物を2ドルで仕入れ、フリーマーケットで5ドルで売ってみると、とてもよく売れ、毎回100~200ドルの利益になりました。
「振り返ってみると、私は根っからの商売人なんでしょうね。良い商品を見つけて仕入れ、お客様と接しながら売っていく、その過程が本当に楽しかったんです」

大学の学費はすべて自分が働いて稼いだお金で支払った、と笑うデイカスさん。
努力でつかんだキャリアの始まり
デイカスさんが大学を卒業した1980年代、アメリカは深刻な不景気の真っただ中。就職先に満足できず悩んでいたデイカスさんは、友人の助言をきっかけに公認会計士を目指します。
当時暮らしていたロサンゼルスは日系企業の進出が相次ぎ、会計事務所では日本語を話せる人材が求められていました。歴史ある会計事務所の面談を受ける機会にも恵まれましたが、「会計の知識がないなら、まずは勉強してからまた来てほしい」と告げられてしまいます。
そこからは、まさに“備える”日々。平日は働きながらカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の夜間コースに通って毎晩3時間、土日は8時間ずつ勉強する生活を続け、1年後に公認会計士試験の受験資格を取得。晴れて採用され、公認会計士となりました。
5年後、デイカスさんは中央監査法人の一員として日本に赴任することになります。当時、29歳。東京の街は驚くほど輝いていました。バブル経済はすでに崩壊していたものの、街ではまだ誰もそれを感じてはいなかったのです。
「その頃の日本での生活は本当に楽しいものでした。ですから、3年の任期を終えた後もロサンゼルスに戻りたいとは思わなかったのです。そして、新しいことにチャレンジしたいという気持ちが芽生えていました」
価値観を変えたリーダーとの出会い
転機が訪れたのはその後のこと。ある投資銀行とペットフードやスナック菓子で知られるグローバル食品企業Mars, Incorporated(食品会社:以下、マース)の2社から転職のオファーを受けたデイカスさんは、最終的にマースを選びます。
「報酬は投資銀行のほうがずっと高額でしたが、マースには当時から素晴らしい企業文化がありました。経営陣に会った時、この人たちと働けば、自分が大きく成長できると強く感じたのです。私は経済的成功よりも、どんな人間、どんなリーダーになれるかを大切にしたかったし、そのほうがきっと楽しいだろうと思いました」

“気づき”を与えるリーダーでありたいと語るデイカスさん。
そして、入社当初は「一生懸命働いて10年後に日本法人のCFO(最高財務責任者)になる」と目標を立てていたデイカスさんでしたが、入社から数年経ったある日、マースの社長からかけられたひと言が彼の人生を変えます。
「何を言っているんだ? 我々は君をCFOにするために雇ったわけじゃない。我が社の事業のいずれかのCEOに育てるために雇ったんだ。もっと高い目標を持たなくてはいけない」
それまで自分自身にそのような可能性があるとは思っていなかったデイカスさん。けれど、「尊敬する人たちが自分にポテンシャルがあると思ってくれている」と気づいた時、その期待に応えたいという想いが生まれました。
自分自身の可能性を信じ、働くマインドが変わったデイカスさんは2年半後、マースのアジア太平洋地域のCFOに就任。その3年後にはマースの日本法人であるMasterFoods Ltd.(現Mars Japan Ltd.)の社長になりました。
「もしあの時、彼が私の可能性に気づかせてくれなかったら、私のキャリアはまったく違う方向に進んでいたと思います。多くの人は、自分にどれほどのポテンシャルがあるかに気づいていません。だからこそ、その“気づき”を与えることは、リーダーとしてとても大切な役割だと私は思っています」
「そこで働くことが自分の成長につながるか」
その後、デイカスさんは、ファーストリテイリングシニア・バイス・プレジデント、西友最高経営責任者兼ウォルマート・ジャパン・ホールディングス最高経営責任者、スシローグローバルホールディングス会長など、日米欧の流通業界で実績を築いていきます。
そのすべてにおいてデイカスさんは、「そこで働くことが自分の成長につながるか」を重視してきました。
「ファーストリテイリングの柳井さんは、すごいカリスマ性を持った方です。彼の海外事業に関するビジョンを聞き、彼と一緒に働けばきっと多くのことを学べるだろうと確信しました。楽しいかどうかはわからなかったけどね(笑)」

SEVEN‐ELEVEN Innovation Expo 2025にてセブン‐イレブン・ジャパンの社員に交じって新商品の試食をするデイカスさん。
「ウォルマートに誘われた時は、正直自分に合う会社か確信が持てませんでした。でも、経営陣やマネジメントチームの方々と話す中で、このチームの一員になれば自分は人として、リーダーとしてもっと成長できるだろうと感じたのです。それほど強い印象を受けた出会いでした」
ウォルマート、ユニクロとキャリアを重ねてきたデイカスさんですが、その歩みの中で“人との信頼関係”も大切にしてきました。
「子どもたちにアメリカでの生活を経験させたいという思いもあってウォルマートに入社し、家族でアメリカに移住しました。ところがウォルマートが西友を買収した際、日本での対応に苦慮した社長が私のもとに来て言うのです。『あなたが今、こちらで楽しく過ごしていることはわかっています。ノーと言っても構いません。でも、東京に戻ってくれるととても助かるんです』。そう言われると、やはりノーとは言いづらいですよね(笑)」
西友の黒字化を達成した後、再びアメリカに戻ってハッピーリタイア生活を始めていたある日、今度はスシローを買収したという友人からの一本の電話が。
「『スティーブ、時間があるよね? 私たちスシローを買収したから、手伝ってくれないか?』と言うのです。それで私はスシローの会長に就任し、東証の再上場に携わることになりました」
いずれも大きなプレッシャーと責任を伴うミッションだったはずですが、「とても楽しい経験であり、貴重な学びの場でもありました」と笑顔のデイカスさん。
セブン&アイ・ホールディングスの社外取締役に就任してからは、日本を訪れた際にも極力グループ店舗に足を運び、現場で働く従業員の声に耳を傾けています。

社長就任発表直後にセブン&アイ・ホールディングスの従業員とタウンホール形式で会話をするデイカスさん。
一人ひとりがサーバントリーダーとして行動する組織へ
5月にセブン&アイ・ホールディングスの社長に就任したデイカスさん。組織のカルチャーを強化していきたいと力強く語ります。
「セブン&アイ・ホールディングスのリーダーに選ばれたことを、心から光栄に、また身の引き締まる思いで受け止めています。当社の長い歴史の中で、私は3人目のCEOとなります。これは、当社の安定性と成功を物語っています。
しかし、長期間にわたる安定と成功にはデメリットもあります。それは、慢心と官僚主義を生みやすく、ビジネスの弱体化を招き、業績不振につながることがあります。
現時点で、日本、北米、そしてそれ以外のグローバルにおける競合他社との比較では、当社のパフォーマンスは弱い状況です。市場シェアは最も高いものの、業績が最も良いわけではありません。
私は、当社の成功をもたらした「起業家精神、“創業者としてのメンタリティ”」の一部を失ってしまったのではないかと考えています」

サーバントリーダーとして行動してほしいと語るデイカスさん。
「“創業者としてのメンタリティ”を取り戻すためには、まず謙虚に誠実に、自分たちがどのようにお客様にサービスを提供しているのか、またどのように改善できるのかを考えることから始めなければなりません。CVS事業のリーダーたちはすでにこの取り組みを始めていますが、私たちだけでなく従業員の皆さん全員が関わっていく必要があります。
『自分たちが毎日行っていることがお客様やビジネスに本当に価値をもたらしているのか』『なぜこの業務を行っているのか』『他により良いやり方はないのか』『それは本当に必要なのか』と自問自答することから始められるはずです。
その上で、私たちは実際に行動することで、変革に対して自分自身、そしてお互いに責任を持たなければなりません。互いにサポートし合い、行動できるように力を与える必要があります。謙虚さを持って傾聴し学びながら、断固として迅速に行動すること、これこそがサーバントリーダー(奉仕型リーダー)としての資質です。
もし私たち一人ひとりが創業者のように考え、サーバントリーダーとして行動すれば、そのインパクトは非常に大きなものとなるでしょう」
グループがこれからグローバルに飛躍していく時代に、デイカスさんの経験と人間力が、どんな彩りを添えていくのか。
その一歩一歩に、大きな期待が寄せられています。
働き方は、エメラルドグリーン
最後に、デイカスさんの働き方を色で表現していただきました。
「色でワークスタイルを表現するのは非常に難しいことですが、もし選ぶとすれば“エメラルドグリーン”だと思います。私は、謙虚さと積極性の両方を大切にすることで、自律的に行動できると信じています。その姿勢を色で表すと、力強く輝くエメラルドグリーンのイメージになります 」
そう答えるデイカスさんの表情からは、武道家のような強さとしなやかさが伝わってきました。

「最後に、従業員の皆さんにお願いがあります。どうか、皆さん自身の率直な考えを私や他の経営幹部に伝えてください。私はこの職に就いたばかりで、まだ知らないことがたくさんあります。
長年このビジネスに携わってきた皆さんは現場の現実をご存知です。ぜひ私に教えてください。お話を聞かせてください。私は耳を傾けます。私を見かけた時は、どうぞ気軽に声をかけてください。あるいは、メールでも構いません。皆さんのお話を楽しみにしています」

デイカスさんの“エメラルドグリーン色”の物語は、これからも続いていきます。

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