
透き通った意志で、チームを照らす。テルベ印刷事業部 川口さんの働き方
どんな仕事にも必ず「原点」があります。学生時代に友人と過ごした時間や、アルバイト、あるいは、誰かからもらったひと言が「原点」かもしれません。
「働き方は、なないろに」では、セブン&アイグループの従業員一人ひとりの原点から今にいたるまで、それぞれの七色の働き方を紐解いていきます。
今回登場するのは、テルベ印刷事業部マネジャーを務める川口透意さん。
テルベは、セブン&アイ・HLDGS.の特例子会社として、多様な人財が活躍する職場です。メインの事業は、椎茸栽培と印刷。川口さんはその中で、印刷事業部のマネジャーとして、10名ほどのチームをまとめながら日々の業務を支えています。
そんな川口さんのルーツは、卓球との出会いにありました。
卓球クラブで学んだのは、体と心の動かし方
川口さんが生まれ育ったのは、北海道の北見市。北海道の東部に位置し、海と山に囲まれた自然豊かな地域です。しかし、川口さんは幼少期から喘息を抱えていたこともあり、外で駆け回るような遊びはしなかったそうです。
「それでも、子どもの頃を振り返ると、一人で過ごした記憶はあまりないんですよね。周りの友達と遊んでいた気がします」
穏やかな日々を過ごしながらも、どこかで“体を動かす”ことへの想いもあった川口さん。自分なりに挑戦できるものをと選んだのが、卓球でした。

「小学5年生頃から、卓球クラブに通い始めたんですよ。強く打ったら、バシッと球が返ってくる感じが好きでした。それから、ピンポン玉の音も。リズムよく鳴る音を聞いているだけでも、楽しかったんですよね」
川口さんが通っていた卓球クラブは、地元のお寺が運営していました。お寺の運営ということもあってか、同年代の子どもたちだけではなく、大人にも囲まれて卓球をする日々。そんな中で川口さんが教えられたのは、言葉づかいや年配の方に対する接し方だったそうです。
「子どもの頃は、厳しい人たちだなと感じていました。でも、大人になって振り返ってみると、人との接し方を教えてもらっていたような気もします」
礼儀作法と、体を動かす喜び。卓球を通して得た経験が川口さんの根となり、少しずつ育まれていったのでした。
自立する道を探した先で見つけた、“自然”な職場
高校進学を考える時期が来ると、川口さんは将来を見据えて地元の工業高校の建設科へと進学。早く自立したいという想いからでした。
工業高校ではスコップでセメントを混ぜてコンクリートをつくったり、工具の使い方を学んだり。学校の裏山での測量も経験しました。そうした体を動かす実習は楽しかった、と川口さんは言います。しかし、どうしても苦手だったことが一つ。
「製図が本当にきつかったです。最初は小さな物置の設計から始まったんですが、断面図を見ながら立体をイメージするのが難しくて」

川口さんは、製図にこだわることはしませんでした。苦手な分野を無理に克服するのではなく、潔く次の道を探したのです。そうして卒業が迫る高校3年生の9月、偶然出会ったのがテルベの求人票でした。
「当時のテルベは新卒採用をしていなかったので、“テルベって何だろう?”が最初の印象でした。でも、よくよく見るとイトーヨーカ堂の子会社(当時)だと書いてあって、母に聞いてみたんです。
母がイトーヨーカドー北見店※で働いていたので、何か教えてもらえるかなと。母もよくは知らなかったようなのですが、“せっかくだから見学してみたら?”と背中を押してくれました」
※2024年8月閉店
見学に行く前に、川口さんは自分なりにテルベについて調べました。
知ったのは、椎茸栽培と印刷事業を手がけていること。工場では、印刷のオペレーションができること。そして、障がいの有無を問わず、雇用を行っていること。
「それまで障がいのある方と接する機会がなかったので、見学前は緊張していました。でも、実際に職場を見学してみると、誰もが仕事に一生懸命で。特別なことなんて、何もなかったんですよ」

テルベの印刷工場。車いすや台車などが通ることと転倒防止の点から、黄色いテープで導線がしっかり確保されています。

椎茸の傘の開き具合と大きさを基準に選別。この後の出荷作業に影響する大事な仕事なのだそう。
高校生の川口さんが目にしたのは、特別な場所ではなく、“誰もが自分の仕事と向き合う”空間。その光景は川口さんにとって、ごく自然なものに映りました。
こうして、川口さんはテルベの新卒社員第1号となったのでした。
“一人では何もできない”から学んだこと
川口さんが配属されたのは印刷事業部。最初の役割は、印刷機の操作をすること。わからないことばかりだったものの、周囲の支えを強く感じていたそうです。
「いま思えば、気をつかっていただいていたと思います。ただ、当時はとにかく必死で、皆さんの気づかいに気づく余裕はありませんでした。皆さんの技術が僕よりも圧倒的に上で、早く追いつかなきゃって気持ちでいっぱいでした」
自分は工場で一番仕事ができないのかもしれない。そんな苦い想いを抱えながらも、川口さんは少しずつ業務に慣れていきました。

そして、入社から3年目。ある出来事が川口さんの仕事観に影響を与えることに。ふとしたはずみで、印刷機を故障させてしまったのです。
「テルベには何台か印刷機があるのですが、そのうちの1台が1週間ほど動かなくなったんです」
印刷業は、大きく3つの工程に分けられます。原稿データをもとに、印刷機で刷れる状態に加工する“製版”。印刷機で紙に印刷する“印刷”。そして印刷された紙を、チラシや冊子、カタログに整える“製本”。
中核となる“印刷”を担う印刷機の数が減ると、全体に影響が出てしまいます。そんな時に川口さんをカバーしてくれたのが、上司でした。
「印刷機が1台止まっていたので、相当な作業量だったと思います。僕も何かしたかったのですが、かえって足手まといになってしまって…結局お手伝いできずに終わってしまいました。社会人になれば、一人でなんでもできると思っていたんですけど、逆でした」

働くほどに感じる、“一人では何もできない”という感触。けれどそれは、“だからこそ、みんなで力を合わせていく”という、気づきにも繋がっていました。
入社当初に思い描いていた“自立”とは、少し違ったかたちの現実。でもそこから、自分にできることを少しずつ積み重ねていく、川口さんの歩みが始まっていったのです。
コミュニケーションを重ねて輝くチームづくり
テルベ入社から21年。川口さんは現在、印刷事業部で10名のチームをまとめています。チームマネジメントの原点にあるのは、一人では何もできなかった頃の経験。
「新しく入ってきた方には、何か一つでも得意なものを覚えてもらって、『自分にはこれがある』という自信を持ってもらえるようにしています。そうなると、堂々と仕事ができたりするんです。僕も同じでしたから」
もう一つ川口さんが大事にしているのが、コミュニケーションです。
「障がいがあってもなくても、思ったことはそのまま口にはできませんよね。だから、時間をかけてじっくりと会話するようにしています。すると、そのうち対等にお話できるようになるんです」

誰かの苦手を責めるのではなく、得意に寄り添い、時間をかけて向き合う。
川口さんの穏やかなマネジメントは、そんな想いに満ちているように見えました。
「一人ひとりが持っている力を、余すことなく発揮できるような事業部になればいいなと思っています」

テルベの社屋を象徴する鐘は、30年前の設立時、障がい者雇用促進の象徴としてイトーヨーカ堂の創業者である伊藤名誉会長から寄贈されました。
最後に、川口さんの働き方を色で表現していただきました。
働き方は、白色
「印刷業なので色に苦労した記憶はたくさんあるんですけど、自分自身を色で表現するのはなかなか難しいですね…強いて言うなら“白色”だと思います」

「ただ、完全な白というよりも、外側が薄くて中が濃いような、芯のある色がイメージに近いです。白のグラデーション、と言えば伝わるでしょうか。白はどんな色にもなれるし、どんな色も引き立てられる。そんな働き方ができればいいと思っています」
そう柔らかに話す川口さんの下の名前は、透意(とうい)。
「透き通った、澄んだ意志を持って生きられるように」という願いが込められているそうです。

川口さんの“白色”は、テルベの仲間たちが織りなす虹色の中心で、これからも澄んだ物語を紡ぎ続けていきます。

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