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冷静に熱く、商品をつくり続ける。セブン‐イレブン・ジャパン平井さんの働き方

従業員一人ひとりの原点から今にいたるまで。「働き方は、なないろに」では、それぞれの七色の働き方を紐解いていきます。

今回登場するのは、マーチャンダイザー(セブン‐イレブンの商品開発担当)を務める平井さん。甲信越・北陸エリアの商品開発を担当しています。

その始まりは、長野県のリンゴ畑でした。

※このページ内の画像の加工や二次利用を禁止します。

リンゴ畑とセブン‐イレブンと

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出典: 画像素材:PIXTA

幼い頃から喘息を抱えていたため、出生地である東京を離れて、幼少期のほとんどを長野県で過ごした平井さん。

長野県の中でも山深い地域の中で、澄んだ空気をめいっぱい吸いながら、祖父母が育てたリンゴをかじる。時には、リンゴ農園で祖父母と一緒に畑仕事をする。そんなふうに、幼い頃から食べること・働くことを自然と学びながら育ったそうです。

「祖父は、びっくりするくらいおいしいリンゴをつくる人でした。もう何十年も前になりますが、初めて食べた時の感動を今でも覚えています。同時に仕事に厳しく、賞を取るために絶対に妥協を許さない人でもありました。私も、かなり鍛えてもらったと思います」

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長野県で過ごした幼少期、雪山でそり遊び。

リンゴと同じくらい、平井さんが楽しみにしていたのがセブン‐イレブンでのお買い物。

「セブン‐イレブンはそこに行けば何でも揃う遊園地みたいな場所でした。畑仕事のご褒美に一つだけ好きなものを買ってもらえて、当時は牛カルビ弁当とねぎ塩豚カルビ弁当に夢中でしたね(笑)」

リンゴ畑とセブン‐イレブンを楽しみながら、平井さんの体は少しずつ強くなっていきました。小学校卒業後は、東京の学校へと進学。

大学では音楽の道を志しましたが、最終的に選択したのはセブン‐イレブン・ジャパンへの入社でした。

決め手は、セブン‐イレブンのアルバイトで経験した“ものを売ることの面白さ”だったと、平井さんは振り返ります。

500個のメロンパンが教えてくれたこと

「都会から郊外のセブン‐イレブンまで、幅広く働かせてもらっていました。人生のターニングポイントになったのが、大学3年生の時の新規店舗のアルバイトですね。経験豊富だからと、発注も任せてもらっていたのですが…」

新商品のメロンパンを、桁を一つ間違えて誤発注。50個でも売るのが難しいと言われる店舗で、500個ものメロンパンを発注してしまったのです。

「怒られるどころの話じゃないですよね。でも、その時のオーナーさんはまったく怒らずに『まずは一緒に食べてみて、それから考えよう』と言ってくださったんです。本当においしかった。あれよりおいしいメロンパンに、私はまだ出会えていません」

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このおいしさを、お客様にも届けたい。アルバイトという立場を超えて、ただ“おいしいものを食べてもらう”ために、平井さんは動き出します。

「お客様に積極的に試食を提供し、タバコを購入していただいたお客様にもメロンパンをおすすめしましたね。おかげさまで、大半のメロンパンを売り切ることができました。その時、シンプルに“面白い仕事だな”って思ったんです」

おいしいものを食べて笑顔になる場所から、おいしいものでお客様を笑顔にする場所へ。
平井さんの中で、セブン‐イレブンの在り方が大きく変わる出来事でした。

9年かけて、たどり着いた場所で

2009年にセブン‐イレブン・ジャパンに入社後、平井さんは店長業務・OFC※を合計約9年間経験します。セブン‐イレブンのおいしい商品に魅せられ、入社当時から商品開発を希望していた平井さんにとっては、少しもどかしい時間でもありました。

※OFC(オペレーション・フィールド・カウンセラー)は、セブン‐イレブン加盟店オーナー様に対する経営カウンセリングを担っています。

「OFCは縁の下の力持ちのような存在だなと思います。でも私の場合は、商品への想いも同様に強かったんですよね」

その想いを一層強くしたのが、当時担当していた新潟の店舗で起きた出来事でした。

「担当店舗のオーナーさんから、商品の改善要望が出たんです。ただ、OFCとしてできることには限界があって、自分がMDを目指していきたいと、改めて感じました」

2018年、平井さんはついに甲信越・北陸のAMD(アシスタント マーチャンダイザー)に就任。しかし、もどかしい時間はまだ続きます。

「商品開発会議で話される内容が、まったく理解できなかったんですよね。自炊もしないので、そもそも料理の基本がわからない。先輩からは“砂糖ってなんですか? というレベルでもいいから、とにかく質問しなさい”と言われるほどでした」

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平井さんは、先輩やメーカー様に食らいつくように質問を重ね、知識を積み上げていきました。初めての商品である『大きな炒飯おむすび 海老チリ入り※』を世に送り出せたのは、それから9カ月後のこと。
※2026年現在は終売

「新潟県は、白米をたっぷり使った爆弾おむすびが昔から根付いている地域。同時に、中華料理屋が多い土地柄でもあります。その二つの食文化を一つにしたのが、『大きな炒飯おむすび 海老チリ入り』です。
前例のない商品だったので形にするまでは苦労しましたが、おかげで自分なりの商品開発の“型”ができたと思います」

その年、『大きな炒飯おむすび 海老チリ入り』は、表彰商品に選ばれるほどの大ヒットを記録。9年間の想いが報われた瞬間でした。

2年目で直面した、MDとしての責任

2年目、平井さんはカップデリ※に注力し、前年の売上を大きく超えます。一方で、惣菜の売上は他エリアと比べて厳しい状況。MDとしての責任を感じました。
※カップに入ったサラダやおかずのこと。惣菜とは別カテゴリになる。

「新潟エリアの品揃えは、私が中心となって検討・決定しています。だから、一つのカテゴリだけではなく、すべてのカテゴリの売上を考えないと駄目だったんですよね」

低迷していた惣菜カテゴリを一新するべく、平井さんに課せられたのは35品の開発でした。しかも、前年の開発実績は1品のみ。平井さんは迷わず、すぐに動き出しました。すでに取引があるメーカー様だけでなく、新規のメーカー様にも声をかけチームを結成したのです。

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「何がなんでもやってやると燃えましたね。最初は戸惑いや不安を感じている方もいらっしゃいましたが、精力的なメーカー様がどんどん新商品を開発するにつれて、状況が変わっていきました。最終的には全員が同じ熱量を持って、駆け抜けられた1年だったと思います」

翌年、平井さんは35品を上回る40品の開発をチームで達成。
今もなお、甲信越・北陸エリアのMDとして、売場に責任を持ち続けています。

働き方は、青

最後に、平井さんの働き方を色で表現していただきました。

「商品開発には、開発メーカー様だけではなく、包材のメーカー様、生産者様と、本当に多くの人が関わっています。店舗の売上はもちろん、その方たちの売上にも私は責任を持たなければいけません。だから、冷静に状況を見つつも中では熱く燃える必要があります。そんな、青い炎のような色が、私の働き方です」

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リンゴ畑から始まった平井さんの“青”の物語は、これからも続いていきます。

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