はじまりは二坪の商いだった! 信頼と誠実への旅路。
ガタンゴトン。
どんな道も、はじめは一歩の足あとから。
その足あとはやがて道となり、時を経て歴史という線路へと変わっていきます。
私たちはその線路の上を走りながら、過去から未来へと続く物語をつむいでいます。
これは、そんな明日へとつながる旅路をめぐる物語。
夢見る羊と明日をめぐる
「夢見る羊と明日をめぐる」は、セブン&アイグループのさまざまな会社の歴史を「駅」に見立て、今と昔をつむぐその歩みを紹介していきます。
旅の始まりは、「信頼と誠実」駅から。
旅のおともは、好奇心旺盛な夢見る羊の“めざメー”。
新しい時代を目指した人々の想いを、一緒に訪ねていきましょう。
セブン&アイグループの歴史をめぐる、旅のはじまりだね~!
はじまりは、小さな洋品店から
「信頼と誠実」駅の外に広がるのは、1920年代の浅草。着物姿の人々の中に、新しい時代を告げるような洋装姿が少しずつ目立ち始めていました。
この変化を見つめていたのが、吉川敏雄。イトーヨーカ堂創業者でありセブン&アイ・ホールディングスの礎を築いた伊藤雅俊の叔父にあたる人物です。彼は洋装の時代の到来を見て、「これからは足袋ではなく、靴下の時代だ!」と台東区浅草に洋品店「羊華堂」を開きました。
※開店当初は「めうがや」という店名。
着実に商売を広げ、1940年には伊藤雅俊の兄・譲がのれん分けされた羊華堂を開業。伊藤雅俊の母・ゆきと譲が中心となって、羊華堂を盛り立てていきます。
しかし、1945年3月の空襲で店舗が焼失。伊藤一家は無事だったものの、商売をゼロからスタートすることになるのでした。
1946年1月、北千住の静かな通りの一角。ソバ屋の店先の間口3間・2坪のスペースを借り、洋品店を再スタートします。それは、戦後の日本を生きていくには、とてもとても小さな灯りのゆらめき。ですが、その灯りを道しるべとして、ゆきと譲は一歩一歩、商いの道を歩み始めたのです。
たった2坪からスタートしたなんて知らなかった! 店の名前に「羊」が入っているから、頑張って欲しいな~!
物資が乏しく、心も荒れる戦後の時代。闇市が横行し、法外な価格での商売が広がっていく中、ゆきが何よりも大切にしたのは商売との向き合い方でした。
『お客様やお取引先を大切にし、誠実に接することで積み重ねた信用が商売の基本』(伊藤ゆきの言葉)
目先の利益に走るのではなく、目の前のお客様に向き合い、真摯に商いをする。その誠実さこそが、人々との信頼を育んでいったのです。
そして、ゆきの商いの姿勢に深い志を重ねたのが譲でした。絶対に手抜きをすることを許さず、
『曲がった道でもまっすぐに歩け』(伊藤譲の言葉)
そう、雅俊に教えたのです。その言葉は、商人の道であり、人としての道でもありました。
そんな母と兄の背中からの学びで、伊藤雅俊は商いの信念を形作っていきます。
『お客様は来てくださらないもの』
『お取引先は売ってくださらないもの』
『銀行は貸してくださらないもの』
『だから商売には信用(信頼)が大切』
常に自らが相手に歩み寄り、信頼を積み重ねていくことを大事にしたのです。
こうして、わずか2坪の店に灯った小さな明かりは、やがて多くの人々を照らす光となっていきました。
商いへの誠実さから生まれた「2枚儲け」
みんなが誠実に商売を頑張ったから、たくさんのお客さんが来てくれるようになったんだね~でもどうやって、ここまで成功したのかなぁ。
利益だけを追い求める闇市が広がる中、羊華堂は正札販売を貫きます。正札販売とは、すべてのお客様に対して同じ価格で販売すること。それは、自由価格で商売する闇市とは真逆の道でした。
さらに羊華堂は、1ダースの商品を売って2枚分の利益しか取らない「2枚儲け」を実施。生活に必要なものを、最低限の利益で販売する。お客様を最優先とする商売方針を定めたのです。
経済的な成長だけを求めるのであれば、考えられない選択です。羊華堂の根底にあったのは、ゆき・譲・雅俊が積み上げてきた商いへの誠実さ。そして、その誠実さこそが、お客様やお取引先様の信用を育んでいきました。
『信用の担保は、お金や物でなく、人間としての誠実さ、真面目さ、そして何よりも真摯であること』
『信用は一夜にしてできるものではなく、毎日、こつこつと積み上げることで、自然についてくるものです。飽きずに繰り返す、一つ一つの積み上げが商売のイロハであり、基本です』
そして、再スタートから10年。2坪の小さな店から始まった新生羊華堂は、着実な歩みを重ね、年商1億円という大きな節目を迎えます。その喜びも束の間、羊華堂の大黒柱だった兄・譲が急逝してしまうのでした。
伊藤雅俊、経営者へ
兄に代わり事業を継ぐことを、雅俊はためらいます。なぜなら、雅俊は異父弟だったからです。その立場ゆえに、かつて居場所をなくしかけていた雅俊を引き取り、学校にまで通わせてくれた偉大な兄・譲。譲には血のつながった弟や妹もいれば、子供もいる…そう簡単に、決断はできません。
苦悩する雅俊の背中を押したのは、同業の先輩である梅屋の経営者・関口寛快氏でした。
関口氏は梅屋の婿養子として、梅屋を切り盛りしていました。同じような立場であり、約20歳年下の雅俊に対しては、心を砕いて接していたそうです。
時には、身内の手術よりも、伊藤家の家族会議への出席を優先することもあったのだとか。
伊藤譲、関口氏、二人の人生の師に支えられながら、雅俊は歩みを進めていったのです。
「譲さんに関口さん、…雅俊さんは、こうやって色んな人に支えられながら、会社を背負っていったんだね」
母と兄の教え、関口氏の支援。そして何より日々の商いを支えてくださるお客様への感謝の気持ちを胸に、雅俊は1958年に「株式会社ヨーカ堂」を設立。こうして、のちのイトーヨーカ堂が産声をあげたのでした。
『商いをしていく上での私の信条は、「感謝の心を絶対に忘れてはならない」ということです』
この「お陰さま」の精神は、その後も商いの基本として受け継がれていきました。
信頼と誠実
1961年、高度経済成長期に差し掛かった日本に、新しい風が吹き始めていました。既存の商売の形が大きく変わるような、市場のうねり。日本の先をゆく市場を研究するために、雅俊は欧米視察に参加。米国で目にした大衆消費社会に衝撃を受けます。
『これからは、百貨店ではなく、セルフ方式のチェーンストアの時代だ』
視察時のこの確信から、雅俊はスーパーストアのチェーン展開へと乗り出していくのでした。銀行からの資金調達、人材採用など、幾多の課題が待ち受けていましたが、一つひとつ丁寧に解決し、大企業への歩みを進めていきます。
しかし、どんなに大きくなっても、あの2坪の小さな洋品店の面影は残っています。
それがはっきりと形になっているのが、"お客様を最上位にした逆ピラミッド型"の組織です。会社の頂点にいるのは、常に「お客様」。
あんなに小さなお店だったのに、とっても大きくなったんだねー! でも、大事にしているものはずっと変わらないんだ。それはすごいことだね~
『私たちはお客さまに信頼される、誠実な企業でありたい』
『私たちは取引先、株主、地域社会に信頼される、誠実な企業でありたい』
『私たちは社員に信頼される、誠実な企業でありたい』
この想いとともに、お客様、お取引先様、株主、地域社会に対する信頼と誠実の心は、今も確かに受け継がれています。
『会社として一番大事にしたのは、いうまでもなく、お客さまです。そして、それと同じくらい大切に考えたのが、お取引先です。お客さまとお取引先を大事にするという考え方は、会社の伝統としていまに続いています』
そして、何より忘れてはならないのが、従業員の存在です。雅俊は経営者としての一番の喜びとして、「従業員が褒められること」と語っていました。現場で、お客様やお取引先様と接する従業員が信頼されるのは、誠実な対応があってこそ。
一人ひとりが築く「信頼と誠実」で、会社は成長してきたのです。
誰のためにお店はあるのか、お客様とどう関わっていくべきか。その答えは、2坪の小さな店から始まり、今なお静かに、力強く、息づいています。
「信頼と誠実」のこころは、これまでもこれからも続いていくんだね。ぼくも、そうやって生きていきたいな~
めざメーとめぐるセブン&アイグループ、「信頼と誠実」の旅路、会社の歴史、いかがでしたか?明日をめぐる旅は、まだまだ続きます。