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世界の台所探検家の「私のめざめ」。岡根谷実里、朝の時間に気づきと希望を得る

人それぞれにある「めざめ」の瞬間。その無限大の可能性を応援する「asupresso」がお送りするコラムシリーズ「私のめざめ」では、毎回スペシャルなゲストに「めざめ」にまつわる思い出や考えを自由に書いて寄せてもらいます。今回筆を執ってくださったのは、世界の台所探検家・岡根谷実里さんです。

岡根谷実里(世界の台所探検家)
東京大学大学院工学系研究科修士課程を修了後、クックパッド株式会社に勤務し、独立。世界各地の家庭の台所を訪れて一緒に料理をし、料理を通して見える暮らしや社会の様子を発信している。30以上の国と地域、170以上の家庭を訪問。講演・執筆・研究のほか、全国の小中高校での出張授業も行う。著書に『世界の食卓から社会が見える』(大和書房)、『世界のお弁当とソトごはん』(三才ブックス)など。好きな食べものはおやきとあんこ。

一つとして同じものはない、家庭ごとの「朝」

世界の家庭に滞在すると、いつも朝起きるのが楽しみでならない。

私は料理を通して見える暮らしや社会に興味を持ち、「世界の台所探検」をしている。各地の家庭を訪れて毎日の料理を一緒にさせてもらっているのだが、家に滞在させてもらうと、朝目覚めた瞬間から夜眠る瞬間まで、あらゆる瞬間にいろんな料理に出会い、日常が非日常になる。

ベッドで目覚めると、部屋の外に聞き耳を立てる。家族はもう起きているだろうか。水の音が聞こえた気がするが、トイレか台所か。

普段の自分のベッドだったら「あと5分」とぐずぐずして抜け出せないが、こういう朝は「朝食は何を作るんだろう、作り始める前に起きなきゃ」とそわそわした気持ちで起き出す。トイレに行くふりをして様子を伺いに出ると、その家の母さん(時に父さん)が台所に立って何やらしているので、慌てて身支度をして「おはよう!」と台所に向かう。一度として同じことのない朝の風景に、一日が始まるんだという期待が満ちる。

ベルギー、モンゴル、ペルー。忘れられない朝と人々の記憶

忘れられない目覚めは、ベルギーで迎えたイースターの朝だ。イースターはイエス・キリストの復活を祝う日で、キリスト教の国々ではクリスマスと並んで重要なイベントとされる。

朝起きて、いいにおいにつられて台所に向かうと、テーブルの上が昨日とすっかり違う光景で息を呑んだ。大小の卵型チョコがテーブル一面に散りばめられ、にわとり型のキャンドルがあちこちを向いて置かれている。いいにおいの元は焼きたてのパンで、母さんはオーブンから取り出すところ。「おはよう」と振り返って見せてくれたそのパンは、うさぎが両手で卵を抱いた形をしていてかわいらしい。一人一つあるようだ。これは形を作るのに時間がかかったに違いない。

起きてきた家族と食卓につき、いつもはしないお祈りをして、搾りたてのオレンジジュースを注いで朝食を始めると、特別な一日が始まるのだなとうきうきした。



夏のモンゴル草原の遊牧民家庭では、毎朝5時起きだった。5人家族と間仕切りのない小屋で雑魚寝しているので、聞き耳を立てる必要もない。大人が最初に起き出し、子どもたちは布団を頭からかぶりなおす。が、「起きなさい!」と蹴飛ばされてのろのろと起き出した。

母さんは、布団から出たら真っすぐ家の横の川に向かい、歯磨きをし、そのまま乳加工の仕事に取りかかった。昼間の服装のまま寝ているので、着替えの必要なし。私も必死で後からついていこうとするのだが、洗顔料に化粧水と乳液にそれから日焼け止めにと何本ものボトルを取り出してあたふたしているうちに、完全に置いていかれる。なんで私はこんなに生活をややこしくしているのだろうか。ふと思い、日に日にボトルの数は少なくなっていった。

川の水を顔にばしゃっとかけて顔を上げると、ずっと向こうまで見渡せる草原にうっすら霧が立ち込めていて、目を凝らすと牛の群れがいる。自然という絵画の壮大な美しさに、しばし呆然と眺め入った。ボトルにこだわっていたせいで、こんな風景を見逃していたのか。人間も太陽もまだあまり起きていない朝の時間は、大地の力がいっそう強く感じられるように思う。



辛かった朝は、ペルー高地のじゃがいも農家に滞在した時だ。起床時間を尋ねると「5時」と言われたが、5時に起きると母さんはすでに料理を終えている。作るところを見たいから明日は早く起きたいと思ったものの、外は真っ暗だし寒いし、意志の力が負けて諦めた。

「寝られた?」と言いながら、母さんはまだ温かい鍋を布に包んで背負い、パンを渡してくれた。いま作った料理は朝食ではなかったのか。あまいミルクコーヒーを片手にパンをかじり、急かされながら父さんと三人で薄暗い中、畑へ向かう。

畑に着くと、近所に住む親戚家族がすでにオーツの刈り取り作業を開始していた。夜は氷点下に冷え込むため茎がパリッとして刈り取りやすく、日が昇って暖かくなる前に作業を終えたいのだ。畑に着いたのが6時頃で、そこからひたすら刈り取り作業。鎌を手に持って稲刈りのように進めていくのだが、富士山頂以上の高地なのですぐに息が上がる。朝の起き抜けに、高地トレーニングが待っていたとは。

8時近くになり日がだいぶ昇ってきた頃「休憩しようか」と声がかかり、ほっとした。畑の隅に座り込む。家から背負ってきた鍋の中身は、フライドポテトと白いご飯。見慣れない組み合わせだ。たっぷり盛って皿を渡してくれたのを受け取る。蒸気でしんなりしたポテトをおかずに、高地で炊くために芯がパリパリに残ったご飯を食べると、ひと口食べるごとに空っぽのお腹が満ちていき、夢中で食べ続けた。こんなに体に染みた朝食はない。

食べ終えて家への帰り道、昇り始めた太陽の光がまぶしいほどに世界を照らして、歩を進めるごとにぐんぐん暖かくなっていくのを感じた。太陽って、こんなに強かったのか。早朝の農作業は辛かったが、朝食と太陽の力に、ああ生きているという力強い感覚が満ちていった。

毎日必ず訪れる朝、めざめる喜び

世界は広くて多様な文化と暮らしがあるけれど、「朝」はすべての人に訪れる。

太陽の光が世界に新たな命を吹き込み、また新たな一日が始まる。朝の時間のあり方の違いに自らの生き方への気づきを得ることもあるし、光に照らされた世界に希望を得ることもある。そうして当たり前が更新されていく。毎日必ず訪れるこのさわやかで尊い時間を、しっかり感じたいと思う。

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