
宮田 崇の「私のめざめ」。旅は人生、人生は旅。インドでめざめた自分なりの“地球の歩き方”
人それぞれにある「めざめ」の瞬間。その無限大の可能性を応援する「asupresso」がお送りするコラムシリーズ「私のめざめ」では、毎回スペシャルなゲストに「めざめ」にまつわる思い出や考えを自由に書いて寄せてもらいます。今回筆を執ってくださったのは、「地球の歩き方」前編集長の宮田 崇さんです。
宮田 崇(株式会社地球の歩き方 取締役)
1977年神奈川県横浜市生まれ。立教大学経済学部経営学科卒業後、2001年に株式会社ダイヤモンド・ビッグ社入社。2002年より「地球の歩き方」編集部所属となり、100以上の旅の書籍を手がける。2017年より編集長となり、「御朱印」「島旅」シリーズの拡大、従来のガイドブックシリーズから派生した「旅の図鑑」シリーズや「東京編」を始めとする国内版のプロジェクトを立ち上げる。2021年1月より株式会社地球の歩き方へ。
初めての一人旅
小さい頃から祖母が好きだった。満州に住んでいた時の話やNYやエアーズロックを訪れた話をしてくれて、今思えば私に旅や異国について興味を持たせ、旅のめざめのきっかけを作ってくれた人だったと思う。仙台出身だったので私が何か悪さをすると「たくらんけ!」(=ばかもの)と怒られたりもした。
小学3年生のある夏の日。私は母親に、自分が住む横浜から祖母の住む千葉県船橋に一人で行きたいと言ったそうだ。母親は心配しながらも息子の一人旅の背中を押してくれた。横浜駅から船橋駅までたったの1時間だが、当時の私には大冒険であったことは間違いない。
横浜駅のホームで私が電車に乗り込むところまで見送った母はすぐに祖母に電話を掛け何分発の電車に乗せたから船橋駅に着くのは1時間後だよ、と。ところが予定時刻を過ぎても私が来ない。なんと、たったの1時間の間に私は寝過ごしてしまい、目的地の船橋を過ぎてしまったのだった。そのまま房総半島まで寝過ごさなかったのは、横浜で母と私の会話を聞いていた女性が千葉駅で降りる際、私が寝ているのに気づき「僕、船橋で降りるんじゃなかったの?」と声をかけてくれたからだ。彼女のサポートもあり予定時刻から遅れること50分、私は船橋駅の改札にたどり着いた。そこには涙ぐんだ祖母の姿があり、「たくらんけ!」とは言わずに「よかった、よかった」と言いながら、今でも覚えているくらい力いっぱいギュッとしてくれた。私の初めての一人旅はこうして終わった。
スティードで旅するようになった高校時代
それから7年後、私は高校2年生になっていた。リアとフロントのフェンダー(泥よけ)をアメリカのヴィンテージバイク“インディアン”のレプリカに改造したホンダのスティード400(加藤シゲアキさんの『できることならスティードで』の書名になっている)というバイクに乗るようになっていた。
乗り始めて間もない時、先輩に誘われて八王子に行ったことがあり、帰りは横浜まで一人で帰ることに。当時はスマートフォンもなく地図も持っていなかったので、道路に描かれている方面のみが頼りだった。道中、順調に「横浜方面」、「横浜」の文字を確認しながら運転を続けているとある地点から「横須賀方面、三浦方面、藤沢方面」みたいな3車線になってしまった。急に「横浜」の文字を見失った私はとりあえず路肩にバイクを止めた。
日が暮れて、夜になりかけて不安が襲ってきたその時、一台の車が停まって「どうした、ガス欠か?」と声をかけてくれた。迷子になったと言うと「あっはっは、わかるわかる。どこまで送ればいい?ついてきな」。少しヤンチャな車のあとを涙目でついていき、無事に横浜まで帰ることができた。困っても誰かが助けてくれた経験は、私に旅する勇気をくれた。
この頃には、昔は大冒険だった船橋へもバイクで往復できるようになっていた。当時向かったのは祖母が入院していた病院。バイクの音が響いたらしく、入室するなり「バイクで来たの?危ないから電車にしなさい、たくらんけ!」と叱られた。
それが祖母からの最後の「たくらんけ」になってしまった。「今しかできないことをやるんだよ」という最後の言葉が当時の私に深く刺さり、一度やめたラグビー部に再入部し、アルバイトをやめてバイクを売った。真面目に青春を駆け抜けた。遺品を整理していたら新品の「地球の歩き方 インド」があったので、売れるかもという軽い気持ちで持って帰り、そのまま自分の本棚に入れた。
インドに呼ばれた日、旅のめざめ
さらに3年後、浪人を経て大学生になっていた。経営学科に入った私の夢は経営者になること。とはいえ、遊びたいし恋もしたい。
1年の春学期、その出会いがあった。ある講義で前に座った子を鼻息あらく食事にお誘いしたが、浮かれ切った私の脳みそとは真逆で、彼女は1年の秋からフランスに留学することを決めており、夏も学生団体の活動でフィリピンに行く、とか。彼女の目標に向かって突き進むチカラに圧倒されて、自分も何かを変えたいという思いが募っていた。ふと夜、眠る前に書棚に目をやると、祖母の家から持って帰ってきた「地球の歩き方 インド」が目に入った。なぜか手にとってページをめくり始めた。
そうだ、インドに行こう。
こうして人生初めての海外旅行で訪れたインド。乗る飛行機の出発が6時間遅れ、両替をすれば金額をごまかされ、安宿街にタクシーで向かえば謎の旅行会社に連れていかれ、ようやく宿のあるエリアに着いた時には玄関がすべて鉄格子で閉められていた。奇跡的に1軒だけ、カウンターの上で寝ていた従業員が私に気づいて泊めてくれた。安心したのも束の間、支払時に領収書をもらい忘れてしまい、翌日チェックアウトしようとしたら「領収書がないなら払え」と言う。しかたなく言われるがまま払った(あとで「地球の歩き方」を読んだら、よくある手口だと判明)。
気を取り直して観光しようとインド門に行ったら、蛇使いのおじさんが首に蛇を巻いてくれ写真を撮ってくれた。当然お金を要求されたが、昨晩の宿代と同じくらいの金額だったのでゴネていたら人だかりができてしまい、通りすがりのインド人からは「すでに首に巻いた事実があるので、相手の言い値で払わないといけない。値段を聞かなかった君が悪い」と諭された。たった2日間でこれほどのハプニングが起きたこの国に、私は45日間もいた。
旅を終えさまざまなハプニングを家族に話した。人生一回だから貴重な経験ができてよかったね、と母に言われた。インドでめざめた旅への飢えと渇きを満たすため、私の大学生活は夏と春、長期で海外に出ることになる。気がつけば「地球の歩き方」の“中の人”となり、旅人に寄り添う立場になっていた。
今も、旅を続けている。旅のめざめがどこかと言われればインドかもしれない。旅には始まりがあって、きっかけがある。自分の旅のめざめについて考えていたら不思議なもので、過去の思い出がすらすらとでてきた。旅は人生、人生は旅なのかもしれない。
