
浅野真澄の「私のめざめ」。声優仲間と向き合う中でめざめた、自分のカタチ
人それぞれにある「めざめ」の瞬間。その無限大の可能性を応援する「asupresso」がお送りするコラムシリーズ「私のめざめ」では、毎回スペシャルなゲストに「めざめ」にまつわる思い出や考えを自由に書いて寄せてもらいます。今回筆を執ってくださったのは、声優・作家の浅野真澄さんです。
浅野真澄(声優・作家)
秋田県出身。國學院大学文学部日本文学科卒。大学卒業後、声優の道へ。アニメ、ゲーム、ラジオパーソナリティ、吹き替え、ナレーションなど、幅広く出演。「Go!プリンセスプリキュア」の海藤 みなみ/キュアマーメイド役、「一騎当千」シリーズの孫策伯符役などを演じる。また2007年、初めて書いた創作物が小学館で大賞を受賞。それをきっかけに、声優業は『浅野真澄』、文筆業は『あさのますみ』と、名義を分けて仕事をするように。現在、保護猫や鳥と暮らしながら、二足のわらじで活動中。
大勢でなにかをすることがずっと苦手だった
人生を振り返ったとき、「あそこがターニングポイントだった」「あれがなければ今の自分はなかった」と思う時期が、誰にでもあると思います。
私にとってそれは、5人組でユニット活動をしていた2年間でした。
もともと、大勢でなにかすることに、苦手意識がありました。
「みんなでひとつの結果を目指すのって、得意じゃないかも」
最初にそう自覚したのは、高校時代。評判につられて入部した吹奏楽部の、演奏を聞いたときでした。
「ここにいる全員が気持ちをひとつにしないと、音色はバラバラのままだよ」
顧問の先生の、当たり前と言えば当たり前のその言葉に、私は愕然としました。ずらりと並ぶさまざまな楽器。まだ話したこともない、大勢の部員たち。ここにいる全員で同じ方向を目指すって、なんて非効率なんだろう。
私は、入部したばかりの吹奏楽部をすぐに辞めました。大学に推薦で入るためには、部活動で内申点を稼ぎたい。誰かと足並みを合わせるより、個人で頑張れば評価される部に入り直して結果を出すほうが、ずっと効率的。それが、当時の私の考えでした。
大学時代も、大人になってからも「気が合うごく少人数と関係を築きたい」と思うタイプ。友達と会うときも、楽しいのは2人か、せいぜい3人で、それ以上増えると、他者のペースに合わせるのがどうにも煩わしく、楽しい気持ちよりも面倒臭さがはるかに勝ってしまいます。
そんな私が、声優という職業に就いて、あろうことか5人組ユニットを組むことになるなんて。
最初は、戸惑いの連続でした。
自分が持っているものと自分に欠けているものを知った
そのユニットは、年齢の近い5人の女性声優で構成されていました。当然ながら、ユニットを組んだその日から、さまざまな活動を一緒にすることになります。
ダンスレッスン。撮影。曲選び。衣装も、統一感はありつつそれぞれの個性が出るものを、みんなで話し合い着地点を見つけなくてはいけません。グッズはどうするか、ラジオではどんなコーナーをやるか――。プライベートだったら絶対に避けていたであろう、まったくタイプが違う5人での、密な関わり。集団行動に対する苦手意識を払拭できずにいた私は、どうしたらいいかわからず、けれど次々とやってくる本番に立ち止まるわけにもいかず、日々迷いながら答えを探していた記憶があります。
けれど。活動を続けるうちに、気づくことがありました。
「こういうの、本当に上手だよね。すごい」
きっかけは、ユニットメンバーからの言葉でした。確か、なにか決めなくてはいけないことがあって、みんなで話し合いをしていたときだったと思います。自分の考えをわかりやすく言語化できてすごい、言葉を使うのがうまい、というようなことを言われて、私はぽかんとしました。
「え、私のこと?」
それまで、そんなことを得意だと、意識したことすらなかったのです。驚く私にユニットメンバーたちは、自分にはできない、と言いながら頷くのでした。
私自身も、他のメンバーに対して似たような感情を抱くことがありました。
例えば、みんなの意見が合わずその場が緊迫したとき、重たい空気をくるっとかき混ぜるように、心が軽くなる一言を口にできる人。「私はこれが好き」という気持ちを、照れずにまっすぐ伝えられる人。そんなふうに、私にはできないと思うような局面で自分とは違う行動をとれる人たちに、私は何度も驚き、そして助けられました。
本人にそれを伝えると決まって「え、そう?」と意外そうな顔をします。そうか、私だけじゃなく案外誰もが、自分がなにを持っているのか、そしてなにが欠けているのか、気づいていないものなんだ――。ユニット活動を続けるうちに、それまで関わりを避けてきた「自分とは違う人」の大切さを、私は少しずつ知っていきました。
例えばダンス。先生から同じ振り付けを習ったはずなのに、いざ踊ってみると、全員違うダンスになるのです。ステップの踏み方。手の挙げ方。見たまま踊っているつもりでも、私というフィルターを通すと、良くも悪くも私のダンスになる。これって私だけの解釈なんだ。こう見えるのは私だけなんだ。もちろん他の人には、同じようにその人だけのダンスがあるのです。歌しかり、トークしかり。
異なる形だからこそ、それぞれがいる意味がある
自分って一体どういう人間なのか。それを知るために必要なのは、意外にも、自分とは違う誰かと密に関わり、真剣に向き合うことでした。
自分と他者との違いは、決して煩わしいだけのものではない。まるでパズルのピースみたいに、それぞれが異なる形だからこそ、それぞれがいる意味がある。ユニット活動をした2年間は、どこかで聞いたことがあるそんな言葉が、真に腹落ちした2年間でした。
活動が終わりに近づいたある日。私は、生まれて初めて書いた創作物を、コンテストに応募しました。ありがたくも賞をいただき、それをきっかけに、文筆業をスタートすることになりました。
あのとき、まったくの未経験から書いてみようと思ったのは、私自身の形を、みんなが教えてくれたから。
今は、「私のめざめ」を経て開けた世界を、日々楽しんでいます。
