YOUの「私のめざめ」。小さな「気づき」を大切にすれば、いつか大きな「めざめ」になる
人それぞれにある「めざめ」の瞬間。その無限大の可能性を応援する「asupresso」がお送りするコラムシリーズ「私のめざめ」では、毎回スペシャルなゲストに「めざめ」にまつわる思い出や考えを自由に書いて寄せてもらいます。今回筆を執ってくださったのは、タレント、モデル、俳優、作詞家、エッセイストと幅広く活躍するYOUさんです。
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YOU(タレント・俳優)
東京都小金井市出身。原宿でスカウトされモデル活動を開始。その後、1988年にデビューしたバンド「FAIRCHILD」のボーカルとして注目を集める。1990年代以降はバラエティ番組への出演をきっかけにタレント業を本格化し、映画・ドラマでの俳優業、エッセイ執筆、CM出演など活動の幅を拡大。現在はドラマ・映画に加え、トーク番組やイベント登壇など多方面のメディアに出演する。
「気づき」から「めざめ」を得られるかどうか
「めざめ」という言葉には、「気づき」であったり、「出会い」であったり、いろんな場面が思い浮かびます。
こんな歳まで生きておりますと、それはそれは……もう思い起こすこともできないような事柄まで、本当に多くの「めざめ」があったように思います。そしてそれは、決して一人では経験し得なかったことばかりなので、そのすべてに感謝の念を抱かずにはいられません。今現在ここでこうしている私は、稚拙ではありながらも私なりの「めざめ」でできあがった集合体であり、語るには烏滸がましいようですし、使う言葉も、借りものであるような気もいたします。
でも、「私のような者は、それでも良いのではないかしら」と、常々思ったりもいたします。と言いますのは、それぞれの立場の違いはあれど、私の周りにはとにかくデキる方がたくさんいらっしゃる(笑)。天才的である方もいれば、努力で培った方もいらっしゃる。
恵まれたことに、そんな景色を見ておりますと、すぐに理解できるのであります。私にはそんな魅力も力も才能もない。だから「すごいなぁ」と、本気で声に出せるんです。心から尊敬できるのです。
この「すごいなぁ」の中にさえ、尊敬という「気づき」があり、ただそれに憧れてそのまま目指したりしようものなら大失敗するという「気づき」もあります。その気づきを己の「めざめ」として、その方たちの魅力的な言動を心に刻みながら己の場所で活かしてゆこう、という学びに変換するのであります。
そのような「めざめ」を感じる時、私はこの上ない多幸感を感じます。
「気づき」は日常のどこにでもふわっと存在しています。大事なのは、そこで「めざめ」を得られるかどうか、だと思うんですね。
飛行機の中で出会った、正反対の2つの「めざめ」
つい先日などは、私が飛行機の座席の上部に荷物を収めようとしたところ、そこがいっぱいに見えたので、どうしようかと思って辺りを見回していたんです。
少し離れた場所にでも荷物を収めようかとしていたところ、先に奥に座っていた方が「あ……」と立ち上がって、上からご自分の荷物を一つ取り出して、座席の横部分に収めてくれたんです。会釈にまで届かぬくらいのやさしい行間に「あぁ、ありがとうございます」とお礼をしました。
素敵でした。少し足りないくらい……の配慮というものは、一番強烈なスマートさであり、とびきりセクシィであるわけです。そのまた奥に、(奥だけに)奥様がいらっしゃらなかったら恋でした(笑)。これはもう通常のユーフォリア(※)ですね。
着陸の際には、今度は私が、当たり前のようにお二人の荷物を取り出して「先ほどはありがとうございました」とお渡ししたのですが、これがまた私なので、まったくこれ見よがしに(笑)映った気がして、やり直せるものなら……と悔やんでおるところでございます。
ここでも2つの「気づき」を得るわけです。その方のなんとも上質なやさしさに対しての「気づき」。そして、その上質さに対して、明るすぎる蛍光灯のような私のお返しの加減下手への「気づき」……。お手本のような気づかいという学びと、2音ほど音を外したようなお返しの再発を防止しなければという「学び」。相反するような「めざめ」に出会ったわけです。
これが都合よく、すぐおさらいができる機会が訪れるわけじゃないじゃないですか。なので、その方の上質さをしばらく心の中で息づかせて育ててみたりするのです。そのうち役立てられるように……(笑)
「めざめ」は、自分を“肯定できる感覚”なのかも
「めざめ」は、ぼうっと暮らしていてもふっと降ってはこないような気がいたします。「気づき」の態勢がないと素通りしてしまうもののように感じます。ですので、いつからか、まず心にふっと訪れる「気づき」を見逃したくないと思うようになりました。
「気づき」を起点に自分の中で育てることができ、腑に落ちた時、「めざめ」として心に刻まれていくような気がしております。ある日「めざめ」を感じたとしたら、知らず知らずとも心の中にあった「気づき」の点と点が結ばれた結果なのかな、というような。私などは、頭がよろしい方ではありませんので、まずは「気づき」を大切に暮らすようになったわけです。
「気づき」は、良いことばかりではありません。別に望んではいないような、時に残酷な「気づき」は多々あるように思います。ですが、それを「めざめ」に変化させることはできるのです。なんでしょう、食材をお料理にする、みたいな(笑)感覚でしょうか。
私たちには、「気づき」をふまえて、物事をまったく別のものに形成する力もあるようです。勢いで自分が良くないような行いをうっかりしてしまったことにも「気づき」があれば、それを反省し補う機会を持つことができます。それができた時、「めざめ」として自分に刻むことができます。だから「めざめ」を感じた時に多幸感を感じられるような気がいたします。自分の中に何か新しい、肯定できる感覚を得られるような感じでしょうか。
昨今では、さまざまな機器の発達や時代の流れの中で、どんどん加速を強いられ、無理やりアップデートさせられているような状況も多々ございますけれども、稚拙でありながらも、こうありたい自分を見つけながら、自分なりの「めざめ」に出会えるような暮らしをしてゆきたいなぁと、これを書かせていただきながら改めて思ったりしております。
※……多幸感、強い幸福感のこと。

