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大木亜希子の「私のめざめ」。不要な競争から降りたら、自分を大切にすることにめざめた

人それぞれにある「めざめ」の瞬間。その無限大の可能性を応援する「asupresso」がお送りするコラムシリーズ「私のめざめ」では、毎回スペシャルなゲストに「めざめ」にまつわる思い出や考えを自由に書いて寄せてもらいます。今回筆を執ってくださったのは、作家の大木亜希子さんです。

大木亜希子(作家)
14歳で女優デビュー。その後、2005年にドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)に出演し、数々のドラマ・映画に出演。2010年に秋元康氏がプロデュースするSDN48でアイドル活動を始める。引退後は、2015年から大手ニュースサイトに記者として入社。2018年フリーランスライターとして独立。著書に『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社/2023年に映画化)、『シナプス』(講談社)。最新作に『マイ・ディア・キッチン』(文藝春秋)がある。

作家をやめようかと思い詰めていた

2025年2月、新作小説『マイ・ディア・キッチン』を上梓した。実はこの作品、完成までに二年の歳月を要しており、その間、私は何度も筆を置き、どう先を書き継げばいいのかまったくわからなくなり、これ以上小説家としてやっていくのは無理なんじゃないかと自信を喪失し、「小説家って、何……?」と悩んでいた。

小説の書き方がわからない。

一般に小説家になるためには、何らかの文学賞に応募し、新人賞の受賞を経るものだが、私の場合そうではなく、元はと言えばフリーライター時代に書いたnoteがバズったことで注目をしてもらうようになり、そこからのご縁が重なって小説家になった。つまり、小説の書き方など知らないまま小説家になってしまったのである。

誰か、ワシに小説の書き方を教えてくれェー!
執筆中、目を血走らせ、ボサボサの髪をかきむしりながら何度もそう叫んでいた。

そうして連載を一時的に休ませてもらい編集者さんにご迷惑をおかけし、お世話になっている税理士さんには「原稿を書くのを休むので収入が下がります……」と泣きつき、実際に執筆を休んだ。

そして、実は、本当に作家以外の仕事も経験してみようと思い立ち、他の仕事をしていたのだ。

そのうちの一つが、子ども向け図画工作教室の先生。小学生の子どもたちと一緒に、木材を使って工作をしたり、iPadで絵を描いたりする。自分にとっては意外だったが、これがものすごく良い経験だった。

子どもたちが目をキラキラさせて「大木先生〜!」と駆け寄ってくる。なんでもないキーホルダーを一緒に作り、できあがったものを見て心の底から喜んでくれる。そして「今度は弟にパズル作ってあげたいから先生手伝って〜!」とお願いしてくる。

その際の子どもたちの、純粋なまなざし。
尊い……。子どもって、かわいい……!

という思いはさて置き、私の脳天には雷が落ちた。ものをつくることの純粋な喜びに触れて、自分が大切なことを忘れていたのだと気づかされたのだ。

執着を手放した先に、本当の自分が見えてくる

前作『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』や『シナプス』を上梓した際は、「アイドル上がりの小説」だと思われたくなくて、絶対に舐められてはいけないと鼻息荒く、純文学界に殴り込みをかける気持ちだった。

実際、SNS上では謂れなきことを言われる。「元アイドルだから下駄履かせてもらってんでしょ?」等々。

そのような声に反発したくて、全身に重い鎧をまとってバチバチに武装していた。作品が各所で話題になって、多くの女性たちに憧れられるような、そんな小説家になりたいと願っていた。

実際に熾烈な競争を戦い抜き、自作が映画化したり、沢山の素晴らしいお仕事をいただいたり、望んでいた夢が実現したこともあった。

勿論そのためには犠牲も付き物で、作家活動が本格的になるにつれて私は男性とのデートの予定をぶった切るようになり、一切のプライベートを捨てて創作活動に邁進した。

文字通り、夢に向かって全力で突き進んだのだ。

そんな私を見て、周囲には「ひとりの女性としての幸せも大事にしたほうが良い」と忠告をしてくれる人もいたけど内心、私は鼻白んでいた。

今の私には、そんなことをしている暇はない。

ライバルの作家が恋愛をしていたり、楽しいことをしたりしているうちに優れた原稿を一枚でも書きたい。
それに誰かに甘えてしまったら、もう二度、その甘えから抜けられない気がする。そんな強迫観念が常にあった。

すべては、「戦いに勝ちたい」。その一心だった。


その気持ちは今でも消えていない。しかし、そもそもそんなことを目指して作家になったんだっけ?と思い直したのである。

思い返せば、拙著『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』を書いた頃は、そうではなかった。あの時は、自分と同じように詰んでしまった女性を励ましたかったし、自分のように人生にくすぶっている人たちに作品を捧げたい一心で書き上げたのだった。

それがいつからか「褒められたい!」「認められたい!」といった俗な思いに変わっていたのである。

「アンタ、そんなのが動機だったのか? それは結果として後からついてくるものであって、そんなもんのために書きたかったわけじゃないだろ」

「アンタが小説を書き出した理由は、『過去の自分のように辛い思いをしている人に、元気になってもらえるような作品を書きたい』じゃなかったのか? 最初の動機はそうだったよな?」

と、神様の声が聞こえた。気がした。

私は、理想の作家像に執着するあまり、いつの間にか動機と結果を取り違えていたのだ。



これまで私は、ずっと競争社会で生きてきた。
女優やアイドルの世界は言うまでもなく、会社員やフリーライターの時代にも競争があった。しかも私はそのすべてで納得ができるまで、トコトン自分を追い詰めた。作家としても、ここ数年は自分の中の男性性をフルに発揮させてオラオラと働いてきた。

そんな闘争状態が『シナプス』という小説を書かせてくれたわけだが、次第に私は、武装のための鎧で自らの身体と心を縛りつけ、うまく呼吸ができなくなっていたようだ。

競争は時に自分を高めてくれるが、不要な競争からは降りてもいいのかもしれない。不要な競争に参加し続けると、自分で自分の首を絞めるようになってしまうから。

だから私はその重い鎧を脱いで、再び筆を取ることにしたのである。執着を手放すことで本来の自分を取り戻したのだ。

自分を大切にできれば、未来はふんわりと良い方向に変わっていく

執着を手放し、不要な競争から降りたことで浮かび上がってきたのは、「女性らしく生きてみたい」という気持ちだった。

それは「夢を諦めて結婚する」みたいな話では全然ない。たとえば、好きなものを食べるとか、好きなお洋服を着るとか、好きな人のために楽しく料理をするとか、あるいは、誰かのためではなく自分のために好きなメイクをするとか、そういうことだ。

そうやって「今の自分を大切にして日々を生きていくこと」だ。
自分を大切にできるようになると、心に余裕が生まれる。

すると表情が変わり、それが人に伝わり、相手の態度が変わる。相手が心を開いてくれるから、自分も心を開けるようになり、より他人にコミットできるようになる。出会う人、付き合う人も変わる。良いことばかりである。なんなら肌の調子まで良くなった気がする。

そうやって少しずつ変わっていくことが大事なんじゃないだろうか。いきなりではなく、少しずつ。


最近私は、未来はふんわり良い方向に変わっていくんじゃないかと思い始めている。

運命は己の力で切り開くものだとこれまで信じて疑わなかったけれど、案外、そんなこともないのかもしれない。だいたいのことはあらかじめ決まっていて、その決まった振り幅の中に自分がおさまるように頑張っていれば、ちゃんと、なるようになる。何かに導かれるように。そんなふうにすら思い始めている。

ちなみに「あらかじめ決まっている」というのは、決して悲観的な意味ではない。

「自分の想像する何倍も素晴らしいことがこれからの人生で沢山訪れる」ということを、きちんと理解しておく必要があるということだ。

実際、私だってアイドルから作家になるとは1ミリも思っていなかった。でも、なった。
それまでの道のりが辛すぎたし、原稿を書くことが大変すぎて、作家になった時は「なった」という実感が湧かなかったけれど、でも、気づいたら導かれるようにしてなっていた。

人生とは、案外そういうものなのかもしれない。そう思った。



ある日突然人生が劇的に好転するような、そんな魔法はないかもしれない。

しかし、ふんわりと、少しずつ、未来はきっと良くなっていく。

だからなるべく心をぶらさずに明日も前を向いて生きていたいと思う。自分を大切にしながら。

これを読んでくれている人も、もし不要な競争に参加して(させられて)身動きが取れないと感じていたら、一度その競争から降りてみてもいいんじゃないかと思う。

そうして自分の心の声に従って、自分を大切にしてみてほしい。
その先で、あなたが本当になりたかったあなたが待っているかもしれない。

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